「動いている姿」

大野裕之*1『ディズニーとチャップリン』から。


1921年に、チャップリンはそれまで誰も成し遂げなかったことを達成する――この年、彼にとっての初の長編劇映画『キッド』が、史上初めてほぼ同時期に世界中で公開され、大ヒットを記録したのだ。
彼の偉業は数多くあるが、暦史上初めて成し遂げたことといえば、「動いている姿が世界中に知られた初めての人物である」という点だ。
例えば、彼以前に世界中でもっとも知られていた人物の一人としてイエス・キリストをあげることができるだろう。キリストについては、あらゆる人が共通のイメージを持っている。ただし、それは同一の肖像ではないし、動く姿でもない。
映画の発展とともに、多くの人が「同一の、動いているイメージ」を共有できるようになった。その結果、「アメリカの映画スター」「日本の剣戟スター」など、それぞれの地域や国で広く知られる「スター」が誕生した。
しかし、チャップリンの人気は、世界共通フォーマットを持つ普遍的なメディア=映画によって地球上すべてに行き渡った。その結果、「放浪紳士チャーリー」は、全世界の人々が単一のイメージを共有する最初の例となった。つまり、暦史上初めての〈世界的キャラクター〉となったのだ。映画の世界同時公開という現象は、インターネットなどによって世界中で同じ動画や情報を共有するメディアのあり方の先駆けである。チャップリンは、現代を形作る「イメージ」と「映像メディア」の世界を拓いたパイオニアとなった。(pp.24-26)
また、前後するけれど、

キーストン社は、間抜けな警官が雲霞のごとく登場して追いかけっこをする「キーストン・コップス」のシリーズで好評を博していた。アメリカの広大な風景の中、人も車も入り乱れて、早いテンポでドタバタを繰り広げるコメディだ。
対して、ミュージック・ホールの少人数の舞台で観客の心をつかむ訓練を受けていたチャップリンは、個性こそが最高のものだという信念を持っていた。「追いかけっこなら自分じゃなくてもできる」と言って、セネット*2らと衝突し、一字は解雇寸前までいった。しかし、ニューヨークにあったキーストン社の本社からの「チャップリン映画が大当たりしているから、もっと送れ」という電報で彼の運命は変わった。アメリカの観客は、それまで見たことのなかった個性に熱狂したのだ。こうして、チャップリンはデビュー数週間にして人気者となり、みずから監督も務めて、映画スターへの階段をのぼっていく。(p.22)
ここで使われている「個性」という言葉は「キャラクター」と言い換えた方がわかりやすいかも知れない。