札幌、1940年

梯久美子*1「2度目の五輪狙う札幌市」『毎日新聞』2021年9月19日


これは知らなかった。『いだてん』*2 でも描かれなかったし。


札幌市教育委員会の資料室に「5th OLIMPIC SAPPORO 1940」*3と書かれたポスターが収蔵されている。1940年に札幌で開催されるはずだったオリンピックのポスターだ。
この年の開催が決まっていた東京大会が、日中戦争の激化などを理由に返上されたことはよく知られている。だが幻になったオリンピックは東京だけではなかった。同じ年に札幌で冬季大会が開かれることも決定していたのだ。
東京とともに開催を返上した札幌大会が実現したのは72年。64年の東京オリンピックの8年後だ。そして、今回の東京大会の9年後、2030年の冬季大会に札幌は立候補している。

私は札幌の大学で学んだが、その1年目、教養科目だった地理学の教授が、日本は札幌オリンピックの成功によって先進国として認められたと言ったことを覚えている。いわく、ウインタースポーツが可能な気候帯にあることは先進国の条件だと欧州諸国では考えられている。加えて、初心者から用具が必要でお金のかかるウインタースポーツは途上国では普及しない。東京五輪は日本の戦後復興を世界に示したが、冬季の札幌大会に至って初めて先進国というお墨付きをもらったのだ――。
(略)私を含め、札幌の人々は、自分たちの街は欧米型の国際都市であるというプライドを持っていた。その何分の一かはオリンピックに由来していたと思う。

(前略)今回の東京大会のそもそもの問題点は、決定権を持つ年配の人たちが過去の再現を夢見たことにあった。すると開催そのものが目的となり、理念はもちろん効果さえ後付けとなる。
札幌にも同じことがいえる。札幌市営地下鉄には49の駅があるが、招致活動が本格化した19年2月以降、そのうち26駅で、電車到着時のメロディーに72年大会のテーマ曲「虹と雪のバラード」が使われるようになった。市のホームページには、オリンピック・パラリンピック招致の機運を盛り上げるための取り組みであると書かれている。夢よもう一度、という後ろ向きの姿勢が見て取れる。

東京と札幌の共通点はまだある。今回の東京オリンピックは、日本中から資本を吸い上げている東京をさらに大きく強い都市にすることを目指すものだった。オリンピックは再開発のための資本投下の名目になる。一極集中のさらなる強化であり、「復興五輪」が最初からお題目だったことは明らかだ。
北海道全体の3分の1を超える人口を擁し、30年度末までに北海道新幹線の札幌延伸が予定されている札幌市が目論んでいるのも、オリンピックによる資本投下を受けての再開発と、さらなる大都市化である。だが一都市がこれ以上大きくなることが必要なのか。人口と資本の分差がリスクの分散につながることを、私たちは既に学んだはずだ。