「ウェーバーの遺言」(橋爪大三郎)

橋爪大三郎*1「偉大な学者の実像を描く2冊」『毎日新聞』2020年8月22日


野口雅弘『マックス・ウェーバー 近代と格闘した思想家』*2と今野元『マックス・ヴェーバー――主体的人間の悲喜劇』*3の書評。
最後の、橋爪氏の総括的雑感とでもいうべき部分を写しておく;


野口氏、今野氏の詳細な伝記研究が可能になったのは、先ごろウェーバーの『全集』が完成したおかげだ。前週の購入申し込みは過半が日本からだという。わが国の関心と研究の厚みは世界でも突出している。研究の土台が固まったのは嬉しい。
人間ウェーバーの実像を知ることは、偉大なウェーバーをひたすら崇めるやり方から距離をとるため、必要であろう。でも脱偶像化が済んだら、つぎはウェーバーの構想全体をどう評価するかが問われる番だ。
ウェーバーは西欧中心主義で、サイードの言うオリエンタリズムだという。後出しジャンケンのような批判だ。ウェーバーは誰にも先がけ、グローバル世界の多様性を指摘していないか。100年以上前の仕事でも、マルクスの資本主義の分析は使える。デュルケムのアノミー論は使える。そしてウェーバーの近代化エートス論がいちばん使える。ウェーバーがいま生きていたら何を課題にするだろう。そう思って仕事をしなさい。ウェーバーの遺言だ。
今野本によれば、ウェーバーは「西欧中心主義」というより、ゲルマン中心主義、プロテスタント中心主義なのだった。また、「誰にも先がけ、グローバル世界の多様性を指摘」した功は寧ろデュルケームに認めるべきだろう。
さて、私がウェーバーに関して、最も気にしている問題、例えば主観主義の問題、方法論的個人主義の問題は、今野氏にとっても野口氏にとっても、また橋爪氏にとっても、重要な問題ではないようだ。なお、この橋爪書評が出た時点では、中野敏男『ヴェーバー入門――理解社会学の射程』はまだ公刊されていない。