東京「幻聴行」

若島正*1「街が忘れつつある記憶を探る幻視行」『毎日新聞』2020年12月26日


アンナ・シャーマン*2『追憶の東京』の書評。
「東京に十年余り滞在した経験を持つ、英国在住のアメリカ人作家による紀行エッセイ」。「東京という街が江戸と呼ばれていた頃から持っている記憶を呼び起こそうとする試み」。


記憶を発掘する旅に著者を導くのは、作曲家の吉村弘*3が書いた『大江戸 時の鐘 音歩記』という本に出てくる、「目を閉じて音を聴けば立ちあらわれる街」としての東京というコンセプトだ。時を知らせる鐘の音は、江戸時代の将軍も耳にしたはずだし、いまの時代に生きるわたしたちにも届けられる。「昔からいまへと時のなかを動いてきた痕跡が、その音に包みこまれている」。失われた街の姿を求めて、著者は時の鐘がある(または、かつてあった)寺を訪ねながら、東京地図にそうした寺が描き出す円の圏内を歩いてなぞっていく。日本橋の大安楽寺、浅草の浅草寺、赤坂の円通寺、上野の寛永寺、築地の築地本願寺、新宿の天龍寺⋯⋯。

本書の数多い独特の魅力のひとつは、こうして時の鐘を訪ねて円を描く動きとは対照的に、じっと静止しているような、表参道の交差点近くにあった伝説の喫茶店として知られている「大坊珈琲店」での断章が、時の鐘のセクションと交互に置かれているところだ。著者のアンナ・シャーマンは、この喫茶店に足繫く通いながら、少しずつ日本語を覚えていく。そこで流れている時間は、正確に、しかし容赦なく時を刻む公の時間とは違って、ゆっくりとした私の時間である。人はこの喫茶店で、あわただしい時間を過ごすことで見失っていた自分を、ゆっくりと取り戻していく。動いてはまた止まる、こうした本書の運動に合わせて、読者もところどころでしばし立ち止まっては瞑想することになるだろう。
動と静の対比。それ以外にも、さまざまなコントラストが本書には見いだせる。「古いものとあたらしいものが混じりあい、不思議な混乱を見せる」赤坂に象徴されるような、過去と現在、東京という街が抱えている、光の部分と闇の部分。そして、大坊珈琲店に代表されるような静寂の世界と、阿鼻叫喚の世界。
ところで、『追憶の東京』のオリジナル・タイトルはThe Bells of Old Tokyo、つまり『古き東京の鐘たち』。