マーセル・セローの『極北』*1を数日前に読了した。普通、小説においては最後の方になると、様々な伏線が回収されて、読者はそれまで課されていた謎から解放される筈だろう。しかし、この小説の読者は最後の頁で唐突にかなり根柢的な謎に直面させられるのだった。その謎を、blogのような場で公けにシェアしていいものなのかどうか。訳者の村上春樹は「訳者あとがき」でこの小説の登場人物やプロットについての言及を一切差し控えている。曰く、「とくにこの小説は先が見えないというか、話がどんどん意外な方向に伸びていくので、前もって設定や筋がわかってしまうと面白くない」(pp.413-414)。背表紙にある紹介文にも、登場人物やプロットへの言及は全くない;
因みに、私が最後の最後にぶち当たった謎というのは、プロットに直接関わるのではなく、
「私は肝の据わった人間だ。そうでなければやっていけない」――極限の孤絶から、酷寒の迷宮へ。私の行く手に待ち受けるものは。
最初の一ページを読み始めたら、決して後戻りできない。あらゆる予断をゆすぶる圧倒的な小説世界。
この危機は、人類の未来図なのか。目を逸らすことのできない現実を照射し、痛々しいまでの共感を呼ぶ、美しく強靭なサバイバルの物語。
小説の語りの構造、そのモティヴェーションに関わることだ。
さて、島田雅彦*2の『カタストロフ・マニア』を読んでいるのだが、これがこのご時勢にタイムリーな小説となるということは作者自身も予想しなかったことだろう。何しろ最初に上梓されたのは2017年だったので。ところで、この小説に限らず、悪意によって人為的につくられたウィルスが登場するフィクションは少なくない(例えば『バイオハザード』とか)。思うのだけど、こうしたフィクションにおいては、一度出現したウィルスというのは(作者の意図や制御を超えて)変異(進化)していくものだという一般的事実をあまり考慮に入れていないのではないか。これはストーリーにも影響を及ぼすのではないか。「維新ウィルスというのを考えてみると、(プロトタイプである)橋下徹には有効だったワクチンが吉村洋文変異株にも有効であるのかどうかはアプリオリに保証されるものではないのだ。
- 作者:島田 雅彦
- 発売日: 2020/11/28
- メディア: 文庫
*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/03/08/154223
*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081203/1228280406 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081207/1228590174 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081211/1228971729 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100831/1283285647 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110825/1314272990 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20130621/1371749804 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20130626/1372259830 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20151129/1448815193 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/05/21/111452 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/08/12/225503 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/02/24/084336 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/03/11/212254 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2021/01/21/155328