島田雅彦語る(メモ)

石剣峰「”我們是奥特曼一代”」『東方早報』2011年8月23日


8月22日の午前中、上海図書館にて島田雅彦*1と中国の作家、孫甘露との対談「文学與城市未来」が行われた。
このトークは見なかったけれど、翌日の『東方早報』に島田雅彦へのインタヴューが掲載されていた。以下、少し抜書き。
何故露西亜語を学んだか;


在大学的時候、全球還処於冷戦時期、当時是両大巨頭紛争、所以覚得学俄語也是比較好的、這様会比較吃得開。後来蘇聯解体、就没甚麼機会用俄語了。
1961年生まれについて;

(前略)在日本把我們作家之間做区分是動画片来区分的、比如我們被称奥特曼一代、後面一代是仮面騎士一代、然後是宇宙戦艦大和号一代、還有機動戦士高達、新世紀福音戦士等。所以我們是以流行文化、亜文化来区分的。我們這一代某種程度上確実比較幸運、現在的年軽人比較可憐、他們成長的年代是経済走下坡路的幾年。我們雖然没有直接参加戦争、但我們的父母、祖父母還是会常常説起戦争、対他們来説那是最痛苦的事情、死亡、挨餓等等。所以也不能説我們跟戦争無関。
島田氏は自分が「ウルトラマン世代」に属しているという。これは小学校低学年の頃を基準にした「区分」か。私も含めたこの世代は小学校低学年で『ウルトラマン』、高学年で『仮面ライダー(仮面騎士)』、中学から高校時代に『ヤマト』*2に出会ったわけだ。また、自分は戦争を知らないけれど親は戦争を知っているという世代は私たちの世代が最後なのか。ただ、私たちの世代の親にしても、多くは、団塊の世代の親のように自ら兵隊になって鉄砲を撃っていたわけではないけど*3
芥川賞について。また、石原慎太郎が嫌いだということ;

其実日本人都不関心文学奨的。芥川奨裡有10個評委、其中有一個是石原慎太郎、我非常討厭石原慎太郎、恨不得他早点死。
自らが芥川賞に落ち続けていたにも拘わらず現在芥川賞銓衡委員であることについて;

第一次落選是20多年前的事情了、我不会為20年前的事情耿耿於懐。当年不譲我拿奨的評委差不多都去世了、除了石原慎太郎。芥川奨毎年有両次評選機会、我希望能夠保持這個奨項的多様性、希望当選的人物有多種風格而不是単一風格。
あとは、「天皇」を書くことのタブーについて。新作『徒然王子』について。徐福*4の話も出てくる。