- 作者:古井 由吉
- 発売日: 1979/12/27
- メディア: 文庫
承前*1
竹永知弘*2「古井由吉は日本文学に何を遺したのか 82年の生涯を新鋭日本現代文学研究者が説く」https://realsound.jp/book/2020/03/post-519446.html
先日他界した古井由吉の文学史的意義についての包括的な解説。
先ず、「杳子」の書き出しの引用から始まる;
古井由吉も属するとされる「内向の世代」とは何か;
杳子は深い谷底に一人で座っていた。/十月もなかば近く、峰には明日にでも雪の来ようという時期だった。(「杳子」71年)およそ50年前、古井が第64回芥川賞を受けた代表作「杳子」の冒頭。最小限の描写のなかに作品全体をおおう不穏なムードが圧縮された印象的な書き出しである。タイトルにある「杳」という語は〈ヨウ〉と読んで、〈くらい、ぼやけた、さびしい〉といった意味をあらわすという。主人公は「彼」と呼ばれる男性である。精神を病んでいるらしい杳子と山中で出会い、次第に「恋愛小説」的な関係がむすばれていく。杳子の病いをつぶさに観察する「彼」のまなざしはときに暴力的である。だが、その「彼」が杳子に見つめ返されるとき、物語はひとつのピークを迎える。
「近代文学」と「現代文学」の区別はマークしておくに値する。さらに、竹永氏は古井の「試行錯誤」の軌跡を順々に辿り直している。
そもそも古井はどのような作家だったか。「内向」をキーワードに振り返ってみよう。1971年、彼は「内向の世代」というレッテルを貼られた。先回りして言うなら、それは文字面から予想されるような「内気で、どこか暗くてじめじめした小説を書くひとたち」という意味ではない。では、どのような由来か。命名者である文芸評論家の小田切秀雄は「自我と個人的な状況のなかにだけ自己の作品の真実の手ごたえを求めようとしており、脱イデオロギーの内向的な文学世代」として、70年前後に文壇に現れた新人たちがアクチュアリティを欠く傾向にあると批判した。名前があがったのは、小説家では古井のほかに後藤明生、黒井千次、阿部昭、柏原兵三、小川国夫など、批評家では川村二郎、秋山駿、入江隆則、饗庭孝男、森川達也、柄谷行人など。ここで言われていることは(とくに古井の場合は)おそらく正しい。すれ違っているのはその傾向を肯定するか、否定するかという評価軸=イデオロギーだろう。
古井をはじめとする新鋭作家たちは「内向」を肯定し、すすんで「文学」と「政治(社会)」を切断する。「文学」自立の宣言である。しかし、その身振りを単純に呪縛からの解放として祝福するのは、やや楽観的だろう。というのも「社会」や「政治」を語るツールとしての「文学」という役割を拒絶することにより、彼らは「小説」というものの無根拠性を突きつけられてしまうからだ。ゆえに彼らはたえず「ならば、小説とはなんのためにあるのか?」という「文学」の存在論について、作品をつうじ(直接的ではないにせよ)自己言及的に考え続けるのである。古井も例外ではない。
ここに近代文学の終り、そして現代文学のはじまりを重ねることもできるだろう。が、さきに待つのは困難な道である。古井は試行錯誤する。
古井由吉とその後の世代;
古井由吉へのリスペクトを語る小説家はおおい。今回の訃報にふれて、高橋源一郎や島田雅彦、松浦寿輝、又吉直樹ほか、数多くの作家が追悼の意を表しており、古井の人望と影響力があらためてうかがえる。後進との関係という面では、芥川賞選考委員としてのはたらきも見逃せない。85年から05年の20年間にわたり、古井は芥川選考委員を務め、後輩作家たちにかかわり続けた。古井は委員としての心がけをこう語る。「芥川賞については、「ジャッジではなくスカウト」というモットーで選考にあたっていました。(中略)新人の完成度と鮮烈さを兼ね備えたいい作品が出てくる時代であるはずがないと悟り、ちょっとでも芽があれば評価するようにしていました」。文学の終りがやかましく言われた時代に「それでも書くこと」の困難をだれよりも痛感してきた作家として、新人に寄り添う態度がよくあらわれた発言だと思う。じっさい、古井は山田詠美や奥泉光、平野啓一郎、中村文則など、現代文学を担う作家を早くから評価していた。その「芽」を見出された小説家たちにも注目したい。