弱者は強い?

承前*1

ニーチェを考える上で重要且つやっかいな問題のひとつは「弱者」とは何かということだろう。ニーチェのいう「弱者」は弱いとは限らない。何しろ(少なくとも)プラトン主義と基督教のヨーロッパ、すなわち「奴隷道徳」が支配するヨーロッパにおいては、古代以来、「弱者」は恒に勝ち続けているのだ。問題は力の強弱や大小ではない。客観的に見れば、寧ろ「弱者」は強者だと言えるかも知れない。では逆に「強者」とは? ニーチェによれば、肯定から始まるのが貴族的な発想であり、否定から始まるのが奴隷的な発想である筈だ。肯定ということだと、いちばんの「強者」は(例えば)AIDS患者たちなのでは? 何しろこの人たちにおいては、免疫(検閲や排除)が作動せずあらゆる外部性が(無理矢理)肯定されてしまうからだ。自らの死を担保として。すると、「強者」は弱者だといえてしまう。こんなような会話が浅田彰島田雅彦との対談本『天使が通る』にあったような気がする。

天使が通る (新潮文庫)

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