牛の頭

安田登*1「鼓腹撃壌」『scripta』(紀伊國屋書店)58、pp.28-35、2021


所謂「三皇」の最後、「神農」(aka 炎帝*2について、以下のように書かれている;


最後の神農は炎帝とも呼ばれ、姓は[伏羲と女媧の]風から「姜」に代わります。(略)体が人間で頭が牛というミノタウロス*3のような姿に変わります。神農は農業を創始し、草木から薬を作れることを発見しました。日中には市を開いて交易を始め、夕方には家に帰ることを教えました。また、伏羲の手による八卦を重ねて六十四卦として易の基礎を作ります。楽器は五弦の瑟を生み出しました(五音音階の創始者なのかも)。(p.30)
香港に「牛頭」という地名があるのだが*4、どうしても祇園社(八坂神社)の祭神たる牛頭天王を思い出してしまう。疫病の神、牛頭天王と牛の頭の神農とはつながりがあるのだろうか。なお、神農は薬を媒介にして疫病に関係している。
以下の記述も書き写しておく;

伏羲&女媧が「風」姓で蛇身、神農が「姜」姓で牛頭です。
風という文字は、「凡」と「虫」から成ります。「凡」は「ハン」という音を表すとともに、「凡」という古代中国の祭礼を意味するとも言われています(赤塚忠『古代中国の宗教と文化』角川書店)。
「虫」という漢字は、もともとは蛇などの爬虫類を表す文字です。ですから、「風」姓というのは、蛇に関する姓であり、これは二皇が蛇身であることと呼応します。中国風に言えば「龍」の姓です。それに対して「姜」姓は、その文字のなかに「羊」がありますし、その身体は牛頭でした。牛も羊も家畜として飼われるものです。
これは、龍(蛇)を自分たちの祖先として崇める部族から、牛や羊を祖先として崇める部族への変化が古代にあったのではないか、という可能性を示唆します。(後略)(ibid.)