昭和15年

私の濹東綺譚-増補新版 (中公文庫)

私の濹東綺譚-増補新版 (中公文庫)

安岡章太郎*1「私の濹東綺譚」(in 『私の濹東綺譚 増補新版』、pp.9-105)


安岡が永井荷風の『濹東綺譚』を初めて読んだのは昭和15年(1940)、ちょうど20歳のときだった(p.102)。


昭和十五年は皇紀二千六百年とも言われた。そして二六〇〇の年はいわば日本人にとっての世紀末に当たるわけだ。無論、当時そんなことを言い出す者はなかったのだが、思い返すと対米戦争を翌年に控えて、あの頃の日本はやはり一種世紀末的気分に浸されていたのではなかったか。私自身、それを口にするほどの元気もなかったが、満二十歳の徴兵適齢期のせいもあって充分絶望的な気分で毎日を送っていた。いや、徴兵などといっても、それがどんな気分のものか、現代の若者どころか、中年過ぎの大人にも通じるわけもない。まあ、湾岸戦争のときの切迫したヤケッパチな気分が、二六時中ぶっとおしで三百六十五日つづいたといえば、いくらかはわかって貰えるだろうか*2。私には徴兵忌避のようなことは考えられなかったからだ――。どっちみち兵隊には行かなくてはならない。ただ、何もこんな時代に適齢期を迎えなくとも、もう少し当たり前な平和な時代の軍隊に、行かせて貰いたかったというのが、私のせめてもの願いであった。
そんなとき、私にとって唯一の慰めになるのは『濹東綺譚』や『雨潚潚』のような小説を、いまはまだ存分に読めるということだった。いや『雨潚潚』の方は私には少々手強くて、愉しみに読めるというものではなかったが、『濹東綺譚』ならば本当に気をやすんじて愛読することが出来た。こんな時代に、こんな本にめぐり合えたのは、自分にとって何たる仕合せなことか――私は本のページをめくりながらかんがえたのだった。(pp.102-103)
また、

(前略)『濹東綺譚』は(略)その末段、秋風の吹くところにクライマックスがあり、総てのものが秋の気候や季節に収斂し、それにつれて主人公”わたくし”とお雪の間柄も、秋の突風が男の頭髪を吹き乱し、庭の草花を薙ぎ倒すように、周囲からそれとなく、あらがいようのない力で、無慙に引き裂いていってしまう。そこに時代の波や戦乱の暴力に圧潰されて行く姿を極めて暗示的に述べているのである。
それにしても昭和十五年、皇紀二千六百年という年は、皮肉にも私たちに末世の到来を教えてくれることになった。その年に結ばれた日独伊三国同盟を私など知るわけがない。ただ私たちは、その頃から自分が高い大きな塀に囲まれたような重苦しい気分になっていった。そして私は濹東という所に行けるうちに行って置きたいという気分になってきた。(後略)(p.51)