安岡章太郎『鏡川』

鏡川 (新潮文庫)

鏡川 (新潮文庫)

安岡章太郎鏡川*1を読了。
以前にも書いたように、読み始めて、出だしの〈川尽くし〉に魅了され、一気にこの本の語りに嵌まってしまった。〈川尽くし〉は、「私」の「母の実家の前を流れる鏡川」(p.7)から、さらに「久万川」に至る。


高知の城の北側を、鏡川とともに浦戸湾にそそぎこむ 久万川が流れている。その久万川の南岸に久万村がある。明治の初期、近隣の村々と合併して初月村と呼んだが、その中心にあるのは昔からの久万村、現在の中久万であり、そこに藩政期から久万郷士を称した家々が農地の部落々々の合間に点在していた。いわく村山、丸岡、西山、松原……。久万郷士の家がこの四軒に限られていたわけでは勿論ない。但し、この四軒の家は何代も前から、婿や嫁のやり取りなどを通して、おたがいに何重にも姻戚関係を結んでいて、「おーい」と一声かければ、その声は近辺全体に響き合いそうに思われる。
四軒の家のなかで、現在もこの土地に本籍を残しているのは多分、村山家だけであろう。もっとも、ここもすでに久万村でも初月村でもなく、高知市中久万八十三番地村山何某になっているはずだ。ついでに言うと私の父安岡章も敗戦後、南方から敗戦後、南方から引き上げてきた時、この久万の一隅に母と共にしばらく間借りしていた。当時はもちろん、今から二、三十年前までは、あたり一帯、そこここに残っていた田や畑も、いまは何処にも見当たらず、まったく高知市内のベッドタウンというか、要するに、給料取りの住宅地になっている。
そんななかで、村山氏の当主だけが、藩政期以来の領知の跡をそのまま本籍地として現代まで維持しているのは、名目だけのことにしろ珍しい例だろう。
その村山家の四代前の戸主又五郎の長女里が松原家の治右衛門に嫁して、三男二女をもうけたが、長男友住が一男(並枝)、二女(竹、祝)をもうけた。姉の竹は入交千別に嫁して、一男(武猪)と四女(美可、佐喜、恒、久)をもうけた。また竹の妹祝は片岡直温に嫁した。
ところで村山又五郎の次女磯は、同じ久万村の郷士吉村三助に嫁した。そして一男(三太、のち又次郎と改名、さらに丸岡姓に復し、名も変えて丸岡莞爾と名乗った)をもうけ、その後に二女(千賀、まき)をもうけた。千賀は、やはり久万郷士の西山禎吉に嫁し、一男(麓)をもうけることになる。(pp.38-39)
ここで、数多の登場人物の中でも特権的な存在といえる、漢詩人の西山麓(小鷹)が登場することになる。引用を続ける。

この麓について、私は子供の頃から母にいろいろのことを聞かされてきたが、それは主として麓が箸にも棒にもかからぬ怠けものであって、「おまえも、このぶんではきっと将来は麓さんのように何の仕事にもつかず、葬式の旗持ちなんかをやって暮らすことになるに違いない」という。後年、私は丸岡莞爾の孫にあたる作家の丸岡明に出会い、自分は西山麓の親戚に当たる者だと名乗ったら、明氏はその丸味をおびた顔に、祖父君の名前のとおり莞爾とした笑みを浮かべ、
「そうか、君が麓さんの親戚とは知らなかった。しかし、ぼくは旧制高校受験に何度も落ちて、外交官になる夢を放棄して、小説を書き出したら、祖母さんからドヤしつけられたよ、『小説書きになるなんて、おまえ、麓の二代目んなる気じゃなかろうね』とね。あんまりそれを言われて、麓さんノイローゼのようになった」
そういう丸岡さんの困惑ともつかぬ微笑を眺めながら、私はそこにまぎれもなく自分の血縁者という存在をみとめて、まだ見たこともない麓さんに出会ったような、一種不思議な心持をあじわった。(pp.39-40)
いくら特権的な存在であっても、西山麓は〈主人公〉ではないだろう。彼を含む登場人物たちは、「私」によって語られる限りの存在である。その意味では、上の世代から聞いたり書物で読んだりしたところの、母方の先祖に連なる人々の行状を語る「私」が主人公であるともいえる。しかしながら、西山麓を「私」の語りを超えたキャラクターたらしめているのは、或いはこの『鏡川』を小説たらしめているのは、西山麓がその母の死後に「結婚」し、「ビンボー」に愛想を尽かして、「電球」と「入歯」を持って出ていってしまう「房枝」という、「大阪弁」のイメージが強烈な女の存在だろう。「解説」で坂上弘は「房枝」はフィクショナルな存在、つまり「安岡氏の創った人物」だろうと述べている(p.208)。その真偽はわからない。しかし、「房枝」の行状と麓のリアクションを読みながら、そんな都合のいい話ありなの? と思いつつ、物語に釘付けになってしまう。また、「房枝」は西山麓に止めを刺すという役割も与えられている。或る夜、麓は10数年ぶりに「房枝」に遭遇し、悪態をつかれたことをきっかけに病床に就き、そのまま死へとまっしぐらに進むことになる。
さて、西山麓の「房枝」との再会が語られる直前で、彼と植木枝盛*2を比較しながら語っている箇所があるので、ちょっと書き写しておく;

麓さんの墓は、たしか小高坂山あたりで見かけたと思うが、麓さんを、いつまでたっても子供の粋が抜け切れない奇詩人だとすれば、植木枝盛は逆の意味で、一種宿命的に大人にはなり切れず、奇矯な”神童”でありつづけた男であったのかという気がする。(pp.188-189)
ちょっと検索してみたら、この『鏡川』を読んだよという人はけっこういたのだった。例えば、


安岡章太郎鏡川」」http://hiroshikaquail.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-bb9e.html
安岡章太郎鏡川」」http://roppongi-funsui.way-nifty.com/blog/2009/05/post-bb9e.html
鏡川http://mahlersociety.cocolog-nifty.com/dokusyo/2007/06/post_c21b.html