川、川、川(安岡章太郎)

鏡川 (新潮文庫)

鏡川 (新潮文庫)

安岡章太郎*1の『鏡川』を読み始める。その出だしは、


私は毎日、散歩する。どうかすると日に二、三度におよぶこともある。天候さえよければ、とにかく必ず歩く。
べつに何処を歩くと決めたわけではない。以前はカメノコ山と称する多摩川べりの丘の上から、川沿いの土堤*2等々力渓谷めがけて行くことが多かったが、晩秋から冬、初春にかけては日当たりの好くない渓谷にはあまり足が向かず、土堤から川原の径を歩くことが多い、しかし歩きながら私は、そこが多摩川だとは思っていない。もっと自分から離れた処、たとえば東京の東郊、江戸川や、大阪の淀川、あるいは高知の鏡川なんかを、漫然とかんがえながら歩いている。(p.5)
眼前の「多摩川」が「 そこが多摩川だとは思っていない」という仕方で否定されながら、次から次へと、「川」が呼び出される。江戸川、真間川、淀川、そして「私」出生の地であり、「私」の先祖の地である鏡川、さらに与謝蕪村*3の故郷、淀川と中津川の合流点近くの摂津国「毛馬」へ(pp.5-12)。この川尽くしのイントロを読んで、すっかりこの小説にはまり込んでしまった。

蕪村の伝記には、摂津国東成郡毛馬村に生まる、谷口姓、後に与謝姓を名乗るとあるが、それ以外に、本名も、父母の氏名も、また出身地その他も一切不明とされている。(p.8)
最近、江戸時代に一般庶民も苗字を持っていたということを語ったのだが*4、特権階級とは対極にある蕪村のような文字通り何処の馬の骨とも知れない人も苗字を持っていたわけだ。
ことの序でに、与謝蕪村についての本3冊をマークしておく。芳賀徹与謝蕪村の小さな世界』と藤田真一『蕪村』。それから、萩原朔太郎の『郷愁の詩人 与謝蕪村』も忘れちゃいけない。
蕪村 (岩波新書)

蕪村 (岩波新書)

郷愁の詩人 与謝蕪村 (岩波文庫)

郷愁の詩人 与謝蕪村 (岩波文庫)