「伝記保険」(オースター)

数日前にポール・オースターの『ブルックリン・フォリーズ』*1を読了した。
小説全体の感想めいたものは機会があれば別に書くが、ここでは小説の結末近くのエピソードについて。語り手の「私」(「ネイサン・グラス」)は「突如胸に痛みが訪れ」(p.435)、病院に搬送さえれる。


私は死ななかった。実はそもそも心臓発作でさえなかった。食堂が炎症を起こしたのが激痛の原因だったのだが、その時点では誰もそんなことはわからない。その夜ずっと、そして翌日の大半、己の人生は終わったものと私は信じて疑わなかった。(p.437)
この経験のため、「私」は生と死について省察する羽目になり、或る「アイデア」が浮かぶ。

私は無名の人間である。ロドニー・グラントも無名の人間である。オマール・ハシム=アリも無名の人間である。ハビエル・ロドリゲス*2――四時にベッドを引き継いだ七十八歳の元大工――も無名の人間である。私たちはいずれみな死ぬ。肉体が運び去られ地中に埋められたら、私たちがいなくなったことを知るのは友人と家族のみである。私たちの死がラジオやテレビで報じられたりもしない。ニューヨーク・タイムズに訃報が載ったりもしない。私たちについて本が書かれたりもしない。権力者や有名人、並外れて才能ある人間にはそれなりの名誉が与えられもするが、通りですれ違うとき私たちだってろくに目もくれぬ普通の、無名の、平凡な人々の伝記を誰が刊行するのだろう?
殆どの人生は消滅する。一人の人間が死に、その人生の痕跡は少しずつ消えていく。発明家は発明品のなかに生き残り、建築家は建物のなかに生き残るが、大半の人間は何の記念碑も恒久的な功績も残さない。一冊分の写真アルバム、五年生のときの通知表、ボウリングのトロフィー、おぼろげに記憶された旅行の最後の朝にフロリダのホテルからくすねてきた灰皿。いくつかの品、いくつかの文書、ほかの人たちに与えた一握りの印象。その人たちはかならず、死者をめぐる物語を語りはする。だが多くの場合その日付は混乱していて、事実は省かれ、真実はどんどん歪んでいく。そしてこれらの人々が死んだら、物語の大半は彼らとともに消えてしまう。(pp.443-444)

私の思いついたアイデアとはこうだ。すなわち、忘れられた人々をめぐる本を出版する会社を作るのだ。物語や事実や文書が消えてしまう前にそれらを救出し、連続性のある物語に、一個の人生の物語に仕立て上げるのだ。
故人の友人や親戚が執筆を依頼し、出来上がった伝記は少部数――五十部から三、四百分程度だろうか――の私家版として出版する。それらの伝記を自分が書くことを私は想像したが、需要が大きくなってきたら人を雇って手伝わせればいい。食うに困っている詩人や小説家、元ジャーナリスト、職のない研究者、あるいはトム*3だっていい。そうした本を執筆し刊行するには相当金がかかるだろうが、私としてはこの伝記を金持ちにしか手の届かぬ贅沢にはしたくなかった。それほど財力のない家族に、新しいタイプの保険を構想した。ごくわずかな額を毎月、もしくは毎季、出版費用として積み立てるのだ。住宅保険でも生命保険でもない、伝記保険*4。(pp.444-445)。

*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/11/21/075823

*2:何れも、「私」が「緊急治療室」で出会った患者の名前。

*3:「私」(「ネイサン」)の甥。

*4:「私」(「ネイサン」)は元保険のセールスマン。