10月だった

承前*1

山口文憲編『やってよかった東京五輪 オリンピック熱1964』に収録された杉本苑子の開会式レポート、「あすへの祈念」*2では、オリンピックの開会式と「出陣学徒壮行会」*3が較べられている。


二十年前のやはり十月、同じ競技場に私はいた。女子学生のひとりであった。出征してゆく学徒兵たちを秋雨のグラウンドに立って見送ったのである。場内のもようはまったく変わったが、トラックの大きさは変わらない。位置も二十年前と同じだという。オリンピック開会式の進行とダブって、出陣学徒壮行会の日の記憶が、いやおうなくよみがえってくるのを、私は押さえることができなかった。
天皇、皇后がご臨席になったロイヤルボックスのあたりには、東条英機首相が立って、敵米英を撃滅せよと、学徒兵たちを激励した。文部大臣の訓示もあった。慶応大学医学部の学生が、贈る側の代表として壮行の辞を述べ、東大文学部の学生が出征する側を代表して答辞を朗読した。
音楽は、あの日もあった。軍楽隊の吹奏で「君が代」が奏せられ、「海ゆかば」「国の鎮め」のメロディが、外苑の森を煙らして流れた。しかし、色彩はまったく無かった。学徒兵たちは制服、制帽に着剣し、ゲートルを巻き銃をかついでいるきりだったし、グラウンドもカーキ色と黒のふた色――。暗鬱な雨空がその上をおおい、足もとは一面のぬかるみであった。私たちは泣きながら征く人々の行進に添って走った。髪もからだもぬれていたが、寒さは感じなかった。おさない、純な感動に燃えきっていたのである。
オリンピック開会式の興奮に埋まりながら、二十年という歳月が果たした役割りの重さ、ふしぎさを私は考えた。同じ若人の祭典、同じ君が代、同じ日の丸でいながら、何という意味の違いであろう。
(pp.117-118)
この本所収の山口文憲「昭和史のなかの六四年東京オリンピック*4によると、「答辞」を読んだ「東大文学部の学生」は、

(前略)江橋慎四郎(一九二〇-二〇一八)*5で、旧制湘南中学(現・神奈川県立湘南高校)から旧制二高(仙台)へ進み、大学では水泳部のマネジャー。学徒出陣はしたがさいわいにも戦士はまぬがれ、戦後は体育学者として生きた。最後は東大名誉教授に。(p.120)