やってよかった東京五輪 ―オリンピック熱1964 (新潮文庫)
- 作者:山口 文憲編
- 発売日: 2020/03/28
- メディア: 文庫
柴田錬三郎*1「天にらむ一瞬」(in 山口文憲編『やってよかった東京五輪』*2、pp.142-144)*3
曰く、
重量あげは、いわば、孤高のたたかいである。スポーツには、拳闘のごとく、敵とわたりあうのと、自分自身の力の限界を孤独で試みるのと、ふた通りある。前者は、反射神経がすぐれていなければならず、後者は、無我無想の境地にいたることを必要とする。
敵がある場合は、とにもかくにも、めざましく向っていけばいいわけだが、孤独のたたかいの場合は、自分自身と対決しなければならない。これは、大変である。
私は、各選手が、バーベルを前にして、いかにして、無我の状態に自分を置こうか、必死になっているのを眺めながら、そのむかしの剣客たちの修業を想った。
宮本武蔵とか柳生但馬守などの修業は、すべて、対手は、木や石や、闇や光であった。試合の場合は、真剣を用いたので、修業は、孤独ならざるを得なかった。
私は、各選手の表情を眺めながら、木や石にむかって太刀を構えた兵法者に似ていると思った。
百二十キロといえば、三十二貫である。それを、一瞬で、持ち上げるのである。体力だけでは不可能である。凄まじい気合を発しなければできるものではない。(pp.142-143)
*1:See eg. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B4%E7%94%B0%E9%8C%AC%E4%B8%89%E9%83%8E See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20110818/1313686170
*2:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/04/05/105514 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/04/29/085824 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/05/06/133926 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/05/23/164627