鯨尺があった時代

sumita-m.hatenadiary.com
予想外の突込み;

BUNTEN 「百二十キロといえば、三十二貫である。」1957年生まれの俺はメートル法一本で育ったようなものだから尺貫法はピンと来ないが、敗戦後19年の東京大会時は尺貫法に馴染みが深い人の方が多かったということか。 歴史
2020/07/06
https://b.hatena.ne.jp/BUNTEN/20200706#bookmark-4688149856904885122
1951年の「計量法*1メートル法が唯一の公認単位となり、1958年には「取引」や「証明」での尺貫法の使用が禁止されたけど*2鯨尺などの尺貫法の計量器具の製造販売が禁止されたのが1966年*3。これに怒って、故永六輔師匠が尺貫法復活運動を始めるのは後のこと*4東京オリンピックのあった1964年はまだ鯨尺が禁止されていなかった時代だということになる。
多くの人にとって、尺貫法の方が身体に馴染んでいたといえるのでは? 柴田錬三郎は「貫」を使っているけれど、私見では度量衡のうちの衡、つまり重さがいちばんすんなりメートル法に移管したのではないか。面積に関していえば、今でも土地について語るときに、坪という言葉を使う。体積についても、さすがに21世紀ではあまり使わないだろうけど、一升とか一合というのは後々までよく使っていた。重さに関しては、私の子どもの頃は既に


デブ、デブ、百貫デブ!


くらいしかなかったように思う。
1貫は3.75kgなので、百貫デブは375kg!