ルーティンの喪失

熊代亨*1「在宅勤務でも昼間から酒を飲むのはやめたほうがいい」https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20200415/1586899800


新型コロナウィルス蔓延によるテレワーク(在宅勤務)の拡大に潜む陥穽。アルコール依存症になる危険。
シロクマ先生曰く、


花見で一杯、結婚式で乾杯といった非-日常のアルコールは、非-日常のイベントだから習慣になってしまうおそれがまだしも少ない。対して、日常的に昼間からアルコールを飲むようになると、それが当たり前の習慣になってしまい、歯止めをきかせるのが難しくなる。
 
一般に、勤め人は職場にシラフで出勤しなければならないから、出勤という習慣があれば昼間からアルコール漬けになるリスクは低くなる。アルコールの誘惑にちょっと弱い人でも、職場に真面目に通ってさえいれば無事平穏に社会人としてやっていけることは案外ある。
 
ところが在宅勤務はそうではない。上司や顧客からアルコール臭いと指摘される心配が無いから、飲もうと思えば飲めてしまう。顔出ししなくて良いタイプのリモートワークなら、赤ら顔になっていても誰も咎めないだろう。
 
誰も咎めないということは、自分の意志だけでアルコールと向き合わなければならない、ということでもある。出勤という習慣のおかげで何とかアルコールと折り合いをつけてきたような、ギリギリの社会人の場合、この在宅勤務がアルコール依存症に陥る"最後の一押し"になってしまうことは、あり得ると思う。
 
そこに新型コロナウイルス感染症への不安や経済的な先行きの不安が重なれば、不安を紛らわせる飲み方をしてしまうリスクも重なる。不安を紛らわせる飲み方は、不安が続く限りアルコールを飲まずにいられなくなってしまうから、連続飲酒のリスクも高い。いつもなら昼間の飲酒を踏みとどまれるけれども、今回の感染症騒動で不安材料を抱えてしまい、アルコールの歯止めがききにくくなくなってしまう人というのも容易に想像ができる。
ルーティンの重要性;

それにつけても、職場というシステムや出勤という習慣について、最近は考えさせられる。
 
世の中には、職場や出勤が苦手な人がいるし、ネットではそういう人の声をしばしば耳にする。他方で、職場や出勤のおかげで生活リズムや生活習慣が保たれ、アルコールなどの歯止めがかけられ、人生を破壊されずに済んでいる人もまた多い。独りでも自律した生活が守れる人にとって、在宅勤務やリモートワークは望むところかもしれないが、システムや習慣に頼って生活している人には今の社会状況は厳しい。
 
そういった厳しさはスタンドアロンに生きていける人には直観しにくいかもしれないけれど、そういう人も世間には結構いるし、そういう厳しさを過小評価してはいけないのだと思う。
失業や定年退職というのは職(アイデンティティ)や収入源を奪うだけではない。何よりもルーティンを奪う。それによって、時間はメリハリを奪われ、のっぺらぼうなものになってしまう。このルーティンで重要なことは他律性ということだろう。自己責任からの自由。自分で決めたことなら何時でも直ぐに止められる。しかし、賦課されたルーティンの場合、自分の決断で止めることはできない。気づいた人も多いだろうけど、これは依存症(addiction)の機制に似ている。ふつう依存症というと、主体が薬物やアルコールに乗っ取られた状態ということになるのだけど、こちらの方は主体が仕事や社会制度に乗っ取られた状態*2。workaholicとはよくいったものだ。そうすると、失業などによる喪失感というのはヤクが切れたときの禁断症状に似ているといえるだろうか。さらに、依存症(addiction)というのは主体というものが存立する条件なのではないか。その社会において主流的である価値観や行動様式に依存状態(addictive)になるとき、その社会における十全な主体として(同様の依存症を有する人々からなるコミュニティによって)認められる。
さて、今つらつらと考えながら思い出していた書物は、原ひろ子先生の『子どもの文化人類学*3坂部恵『仮面の解釈学』*4。また、少年ナイフの”Perfect Freedom”*5が脳内で鳴っていた。
子どもの文化人類学

子どもの文化人類学

仮面の解釈学 (UP選書 153)

仮面の解釈学 (UP選書 153)

フリータイム

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