非データベース

承前*1

重松清*2「ゆっくりと別れたかったよ。」『波』(新潮社)602、pp.12-13、2020


坪内祐三追悼文。
少し切り取ってみる。


坪内さんは周知のとおり博覧強記の人だった。だが、決してデータベース的に「正確にすべてを網羅する」ことのみに拘泥してはいなかった。むしろ著作を再読してみると、自らの記憶違いに気づいたり、忘れていたものを思いだしたり……という記述が多いことに驚かされる。
揺れて、動いて、なにかが思いがけず顔を出す。あるいは逆に、取り出せるはずのなにかが姿を消してしまう。
「それでいい」――いつだったか酒場で言われたのだ。僕が小賢しくも、坪内さんの記憶違いを正したときのことだ。坪内さんは自分の誤りをすぐに認めつつも「でも、忘れるのも大事なんだよね」と言った。「勘違いとか、思い違いとか、そういうのって、消さないほうがいいんだよ」
僕はその一言に、生意気を言わせてもらえれば、坪内祐三の批評のキモを垣間見た気がしたのだ。
デジタルデータのように劣化しない正しさだけでなく、記憶がだんだん薄れていく、その薄れ具合にこそ、ひとの営みとしての文学が、美術が、演劇が、さらには街が、ある。坪内さんはそれを生涯かけて追ったのではないか。記憶が薄れ、さらには取り違えも起きてしまうことを嘆き/怒りつつも、かつて確かにあったものを保ちつづけられないところに、人間の弱さ/面白さ/強さを見いだす――「まさに雑誌のように」と言ったら、ツボちゃん、酒場のカウンターで喜んでくれそうな気もするんだけどな。(p.13)