「吃音を持つ」?

Thanx for ナベ*1
『毎日』の記事なり;


言友会:創立40周年全国大会 作家・重松清さんが講演−−八王子 /東京

 ◇自らの吃音体験、語りかけ励ます

 吃音(きつおん)者の自助グループ「言友会」の創立40周年記念の全国大会(全国言友会連絡協議会など主催、毎日新聞東京社会事業団など後援)が5日、八王子市内であり、自身も吃音を持つ直木賞作家の重松清さんが「伝わるよ、きっと」と題して講演した。約200人の参加者は、体験に基づいた重松さんの励ましの言葉にうなずきながら聴き入った。

 重松さんは出版社勤務を経て執筆活動を始め、01年に「ビタミンF」で直木賞を受賞。02年には、吃音を持った少年が主人公の小説「きよしこ」を発表した。重松さんは子供のころから吃音が嫌で、教科書の朗読が苦痛だったという。

 重松さんは「どもった瞬間の相手の目を見るのが嫌で」と、1対1だと顔を見て話せなかった経験など、笑いも交えながら紹介。吃音を「自分の思いを伝えるときのハードル」ととらえ、乗り越えてくれる友人の大事さを実感したといい、「なめらかにしゃべることが大事なのではない。本当に伝えたいこと、伝えたい相手がいる幸せを味わってほしい」と熱っぽく語りかけた。【苅田伸宏】

毎日新聞 2006年5月7日
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/tokyo/news/20060507ddlk13040043000c.html

私も「吃音を持つ」けれど、記事にある「吃音を持つ」という表現は?だな。「吃音」というのは〈起こる〉ものなのだ。突然、発話すべき音が逃げていく。自ら発すべき音が捕まえられなくて、途方に暮れる。そのような経験として先ずは「吃音」はある。次に、音を逃さぬよう身構える。にもかかわらず、音は鰻のようにまた逃げていく。この悪循環に填ってしまったとき、私は「吃音を持つ」、「持」ってしまうといえるのかも知れない。