「中間勢力」の「消滅」(柄谷行人)

柄谷行人、小嵐九八郎『柄谷行人政治を語る』*1から。
柄谷氏の語り;


二〇〇一年に小泉*2が首相になる前に、日本の「新自由主義」の体制は完成していました。新自由主義は一九八〇年代にレーガン主義、サッチャー主義として存在したもので、の本ではそれが中曽根*3によって実行された。その目玉は国鉄の民営化です。それは同時に国鉄労働組合国労)の解体です。国労は総評の要でしたから、それは総評の解体を意味する。総評が解体すれば、社会党が消滅することになる。
つぎに、日教組の弾圧。教育の統制が進んだ。大学の民営化というのは、実際は、国営化です。それまでの大学は、国立でありながら、じつは、文部省から独立していた。つまり、中間勢力でした。民営化によって、こうした自治が剥奪された。私立大学も同じです。国家の財政的援助の増大とともに、国家によるコントロールが強化されたわけです。
さらに、特筆すべきなのは、公明党を連立政権に加えることによる創価学会のとりこみです*4。与党であるために、彼らは年来の課題であった、大衆福祉と反戦を放棄してしまった。こうして、事実上、中間勢力であった宗教的勢力が抑え込まれた。もう一つは、部落解放同盟の制圧です。部落解放同盟は、部落だけでなく、すべての差別される少数派の運動を支えていた。また、それは右翼を抑制する力があった。解放同盟が無力化したのち、右翼はわがもの顔にふるまいはじめたと思います。
日本で中間勢力がほぼ消滅したのが二〇〇〇年です。そこに、小泉政権が出てきた。もう敵はいない。彼は中間勢力の残党を、「守旧派」「抵抗勢力」と呼んで一掃したわけです。(pp.82-83)
また、丸山眞男に言及して、

たとえば、彼は、西洋において「学問の自由」という伝統をつくったのは、進歩派ではなく、古い勢力、中間勢力だといっています。つまり、国家が教育の権利を握ることに教会が抵抗したことから、学問の自由が成立した。ところが、明治日本では、国家が教育の権利をやすやすと握った。それは、徳川体制のもとで、仏教団体がたんなる行政機関になっていたからですね。こうして、丸山眞男は、日本の近代化の速さの秘密は、封建的=身分的中間勢力の抵抗がもろいところにある、というのです。いいかえれば、中間団体が弱いところでは、個人も弱いのです。
(略)一九九〇年代に、日本のなかから中間勢力・中間団体が消滅しました。国労創価学会部落解放同盟……。教授会自治をもった大学もそうですね。このような中間勢力はどのようにしてつぶされたか。メディアのキャンペーンで一斉に非難されたのです。封建的で、不合理、非効率的だ、これでは海外との競争に勝てない、と。小泉の言葉でいえば、「守旧勢力」です。これに抵抗することは難しかった。実際、大学教授会は古くさい、国鉄はサービスがひどい。解放同盟は糾弾闘争で悪名高い。たしかに、批判されるべき面がある。これを擁護するのは、難しいのです。
しかし、中間勢力とは一般にこういうものだというべきです。たとえば、モンテスキューは、民主主義を保障する中間勢力を、貴族と教会に見出したわけですが、両方ともひどいものです。だから、フランス革命で、このような勢力がつぶされたのも当然です。こうした中間勢力を擁護するのは難しい。だから、一斉に非難されると、つぶされてしまう。その結果、専制に抵抗する集団がなくなってしまう。(pp.149-150)

日本で中間勢力がほぼ消滅したのが二〇〇〇年です。そこに、小泉政権が出てきたわけです。もう敵はいない。彼は中間勢力の残党を、「守旧勢力」と呼んで一掃したわけです。さきほど、モンテスキューが、中間勢力がない社会は専制国家になるといったことを述べましたが、その意味で、日本は専制社会になったと思います。いかなる意味でそうなのか。その一つの例が、日本にはデモがないということです。(pp.150-151)