積立てだった

「デモ」と「日当」のことが話題になっている。調子に乗った熱湯浴がデマを撒いているとうこともあるようだけど、私が感じたのは日本における労働組合の組織率の低下ということだ。「連合」の右傾化が問題になっていた。もう産業報国会に改称しろ、とか。それ以前に、労働者階級を代表しうる組織が不在であることの方が問題だ。話を戻すと、政治的なスタンスを問わず、多くの人にとって、労働組合が組合員を「デモ」に動員するということのリアリティが感じられないのでは?
柄谷行人、小嵐九八郎『柄谷行人政治を語る』から。
柄谷氏曰く、


匿名で意見を述べる人は、現実に他者と接触しません。一般的にいって、匿名状態で解放された欲望が政治と結びつくとき、排外的・差別的な運動に傾くことは注意すべきです。だから、ここから出てくるのは、政治的にはファシズムです。しかし、それは当たり前なのだから、ほうっておくほかない。2チャンネル(sic.)で、人を説得しようなどとしてはいけない。場所あるいは構造が、主体をつくるのです。その証拠に、匿名ではない状態におかれると、人はただちに意見を変えます。
だから、日本では、デモは革命のために必要だというようなものではない。とりあえず、デモが存在することが大事なのです。しかし、そのためには、アソシエーションがなければならない。昔、デモがあったのは、結局、労働組合があったからですよ。安保闘争の時、デモに対して日当が払われているという中傷的な宣伝がなされたけど、あれは組合が毎月積み立てたものですね。休日でない日に労働者がデモをすれば、どうなるか。賃金カットに決まっています。だから、前もって積み立てておいた。そういう準備をした集団が核になっていないと、デモはできません。学生だけのデモになってしまう。(pp.156-157)*1