或る困難など

福山絵里子「「親が非大卒」の学生に奨学金 学歴固定化に一石」https://style.nikkei.com/article/DGXMZO48762380Q9A820C1EAC000/


曰く、


そんな皆さんは「ファースト・ジェネレーション」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。これは両親が大学を卒業しておらず、自分の世代で初めて大学にいく人のことを指します。今、こうした人に注目した動きが出てきています。

東京工業大学は、両親が大学を出ていない入学生向けに、2020年度から新たな奨学金制度をつくることを決めました。毎月5万円を、最大で修士課程修了までの6年間支給します。対象枠は最大20人程度です。

記事の後半は、吉川徹氏*1へのインタヴュー。興味深いが、疑問も幾つか湧く。

――どう難しいのでしょうか。

「一つは運用面です。親が大卒という証明はできますが、大学を卒業していないという証明は難しいですね。家族のかたちも多様化しています。例えば大卒の父親がいて、離婚して非大卒の母親が育てているが、養育費はたっぷりもらっているという場合は該当するのでしょうか。非常にデリケートで複雑な問題で把握も困難でしょう」

たしかに。

――非大卒の親の場合、教育への意識が乏しいという指摘があります。

「意識が乏しいとの指摘の前提には、大学進学は望ましいことだという価値観があります。しかし、非大卒家庭の中には、確信を持って親も子も非大卒の道を歩んでいる人たちが多くいます。私は、日本の大学進学率が6割程度で頭打ちになりつつあることの一因とみています。あらゆる家庭の子どもたちが大学に入った方が良いと大学側からいうのは、お節介かもしれません」

――大学進学だけが幸せな道ではないということですか。

「大卒の親が子どもに大学を出てほしいと思うのは自然なことです。ただ、大学を出ることだけがすべてはないことへの目配りも必要です。例えば地方の非大卒の家庭に子どもが2人いたとします。兄は東京の大学に出て、授業料無償化や奨学金の恩恵を受けたとします。弟は高校卒業後、親元に残って働いたとします。この場合、弟が不幸とは限らないと思います」

「非大卒家庭の中には、確信を持って親も子も非大卒の道を歩んでいる人たちが多くいます」。具体的には?
私見によれば、学歴志向というのは自作農や自営業者といった旧中間層が中心の社会からサラリーマン(新中間層)が中心の社会への変動の帰結だろう。新中間層は土地や家業といった子どもに継承させるべき物はない。親が子どもに与えられるのは教育機会、或いはその帰結としての学歴くらいなのだ。それに加えて、労働運動の衰退ということがある。労働者の生活条件などの改善を集合的に解決することのリアリティが薄れ、労働者は自己責任的な努力によって自らの労働力としての商品価値を高めることに駆り立てられる。学歴の獲得はその一環であり、学歴志向が弱まるとしたら、その圧力が弱まることが必要だろう。或いは、学歴への投資の収益が低下したように感じられること。

――学歴の固定化は問題ないということでしょうか。

「全ての若者を大学教育に誘導することが日本にとって良いことなのかということに疑問を持っています。持続可能な社会の在り方を考えるとき、非大卒の世帯が安定して世代を重ねていくことは、一つのカギになります。高卒で地域を守るような仕事をしている人への支援がもっとあっていいのではないでしょうか」

――学歴が固定化すると、政策面や政治面での分断につながりませんか。

「確かに分断を避けるためには、多様なライフコース(人生経歴)が入り交じるようにするという方法があります。ただ、人々のライフ(日常生活)を入り交じった状態にするという方法でもできるでしょう。仮に親も東大出の官僚、自分も東大出の官僚であっても、自分とは全く違うライフコースの人の生活を尊重して日常的に交流する。こうしたやり方でも分断を回避できるのではないでしょうか。学歴について研究してきた私の実感です」

「仮に親も東大出の官僚、自分も東大出の官僚であっても、自分とは全く違うライフコースの人の生活を尊重して日常的に交流する」ということはいいことだ。しかし、「日常的に交流する」ことを可能にする社会的・文化的仕掛けを提示すべきだろう。それがない場合、社会的「分断」の「回避」は「東大出の官僚」のようなエリートの心構えに還元されてしまうだろう。例えば、『釣りバカ日誌』の場合には、「釣り」という趣味によって「全く違うライフコースの人」同士の「交流」が可能になっていたわけだけど。