敬語(極東3国)

天皇に対する「御疲れ様」が炎上したばかりなのだけど*1

石丸次郎「天皇代替わりに敬語使用を考える 「菊タブー」を減らしていくために」https://news.yahoo.co.jp/byline/ishimarujiro/20190523-00127045/


曰く、


昭和が終わって30年が過ぎた今、新しい天皇とその家族を、メディアはいったいどのように扱い、表現するだろうか。平成から令和への天皇代替わりの節目に、新聞の報道の仕方に私は目を凝らした。

新聞各紙を読み比べた。主要紙は全紙がこれまで通り皇族に「さま」を付けた。「さん」ではだめなのか? 新旧の天皇が退位と即位にあたって読み上げた文章を、毎日と朝日は括弧付きの「おことば」とし、読売と産経は括弧なしでお言葉と書いた。「メッセージ」や「声明」で良いのではないか?

私は、報道記事の中では、あらゆる人物に対し敬語を使うべきでないと考えている。報道というのは客観性、平等性が命だ。上から見下ろす、下から見上げる、そのどちらの立ち位置も報道にふさわしくない。

学術論文で歴史上の人物や皇族に敬語を使わないのと同様に、報道も、家系や身分、地位によって扱いを変えるべきではないはずだ。記者やテレビディレクター個人が、天皇制や皇族にどのような思いを持つかは自由。しかし、それと記事中の敬語使用は別の問題である。

代替わりに際し、全国紙もテレビも敬語で溢れた。一方、毎日の新天皇即位の日の別刷りでは、経歴を紹介する記事で、「ピアノやバイオリンを幼いころから習い、大学のオーケストラではビオラを演奏した」などとして、本文では敬語の使用をかなり控えていた。朝日も別刷りでは控えめだった。天皇家を仰ぎ見る存在として扱わず、平準にしていこうという、ジャーナリズムとしての試みがあったのだろうと感じた。

私は皇族に対して(関して)「敬語」は使わないけれど、「敬語」を使うのが常態化(無徴化)すれば「敬語」なしのフラットな表現は有徴化して、「敬語」を使わないだけで、何か特殊な(社会の主流派の秩序から見たら望ましくない)事情があるんじゃないかと勘繰られることになる。昭和の時代に西暦を使うというのはそんな感じだった。
朝鮮半島の「敬語」事情;

ついでなので、私がフィールドにしている韓国、北朝鮮の報道における敬語使用について付言しておこうと思う。共和制の韓国では、私の知る限り、報道記事中に政治家はもちろん、歴史上の人物に対して敬語を使うことはあり得ない。

北朝鮮の場合は正反対で、金日成金正日金正恩と、さらにその祖先に対して、最高敬語なしの報道はあり得ない。教科書を含め、あらゆる文書においてもだ。例えば、5月9日の短距離ミサイル発射訓練を金正恩氏が指導したことを伝える朝鮮中央通信の記事の冒頭を訳してみよう。


朝鮮労働党委員長であられ、朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長であられ、朝鮮民主主義人民共和国の武力の最高司令官であられるわが党と国家、武力の最高領導者、金正恩同志が5月9日、朝鮮人民軍前線と西部戦線の防衛部隊の火力打撃訓練を指導された」
ただ、同通信の日本語ページのストレート記事では、金一族に対しても敬語は使われていない。一応は共和国を名乗り、社会主義を標榜しているため、外国向け報道記事では政治家への敬語使用を「恥」ととらえ、隠そうとしているのかもしれない。

北朝鮮には、憲法も労働規約も超越する最高規約「党の唯一的領導体系確立の10大原則」がある。指導者への絶対忠誠、絶対服従を全社会、全国民に強いるための綱領だ。

関連記事 <北朝鮮金正恩に逆らった張成沢 写真に現れていた粛清の理由2 張は唯一領導体系違反で殺された*2
その第3条3項は次のように記す。


「偉大な金日成同志と金正日同志の権威、党(金正恩氏のこと)の権威を毀損しようとするわずかな要素も絶対に融和黙過せず、非常事件として扱い、非妥協的に闘争して、全ての階級の敵の攻撃と非難から、首領様と将軍様の権威、党の権威をあらゆる方面で擁護しなければならない」
金一族に対する敬語不使用は「権威を毀損しようとするわずかな要素」に当たり、処罰、闘争の対象なのである。
韓国の文在寅政権の誕生と「尊敬語」の変容については、


허완 and Komuro Shoko「文在寅氏のひそかな改革か 韓国・青瓦台が大統領への「敬語」をやめる?」http://www.huffingtonpost.jp/2017/05/23/moon-jae-in_n_16778612.html


も参照されたい*3