「リテラシーを身につけるひとつの手段」(呉座勇一)

桂星子「絶対の正解求める危うさ 歴史学者・呉座勇一氏」https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44916500X10C19A5BC8000/


呉座勇一氏*1へのインタヴュー。


新しい時代を生きる上で重要なのは「これが真実」「こうすればうまくいく」という答えらしきものに乗せられることなく、情報を評価するスキルではないか。ネットを通じ、情報の入手自体は簡単になった。それをいかに分析し、価値あるものを選び出していくか。歴史学の根幹はこの「史料批判」にある。リテラシーを身につけるひとつの手段として、歴史学の研究成果に親しんでもらえたらと思う。

歴史を学ぶ意義は大きく2つある。1つは現代の相対化だ。かつて、いま我々がいる社会とは全く違う仕組みの社会が存在した。異なる常識で動いていた社会を知ることが、我々の価値観を疑ったり「絶対に変えてはいけないものなのか」と問いかけたりするきっかけになる。女性・女系天皇を巡る議論も、歴史を知ることなしにはできない。

もう1つは、社会の仕組みが異なっても変わらない部分を知ること。親子や兄弟の絆、宗教的観念などは、時代を超えて今につながるものがある。この両面を通して、我々はこれからどう生きるべきか、ヒントを引き出せるのではないか。


目的意識が先に立つと、歴史を見る目がゆがむ。自らの見たいものを過去に投影し、事実でないものを教訓にしてしまう。自説の補強や正当化のために歴史をゆがめられては困る。

歴史を叙述すれば、どうしても物語に接近していく。だからといって、書きたいように書けばいいわけではない。正解がわからなくても「これはあり得ない」ということはある。間違った事実に基づく主張に対して、歴史的事実が誤っていると指摘するカウンターの役割を、歴史学者は担うと考えている。