コンビニの店頭で死去を報ずるスポーツ新聞の見出しを見たときは、一瞬、嘘だろ! と思った。
NHKの報道;
2013年からの長い闘病生活があったとはいえ*2、これで平成も終わりなんだねと納得した。コンビニ店頭で訃報を最初に知ったときは闘病のことなど知る由もなかった*3。花柳幻舟が転落死したとき*4、平成の始まりと終わりを飾ったなと思ったのだけど、思えば〈カーニヴァルの横綱〉としての北尾の目まぐるしい栄光と転落は、その直ぐ後の〈昭和〉の終焉を先取りするものだった。そして、自らの死によって、〈平成〉の幕を引いた。
元横綱 双羽黒 北尾光司さん死去
2019年3月29日 23時12分
大相撲の元横綱 双羽黒の北尾光司さん*1が、先月慢性腎不全のため亡くなっていたことがわかりました。55歳でした。
北尾さんは昭和38年に津市で生まれ、昭和54年の春場所で初土俵を踏みました。
身長およそ2メートルの体格を生かし昭和59年の初場所で新十両に昇進後、その年の秋場所で新入幕を果たし昭和60年の初場所で新三役として小結、九州場所後に大関に昇進しました。昭和61年の名古屋場所で、2場所連続で優勝に次ぐ成績を残し横綱昇進を決めました。
優勝制度が始まってから幕内で優勝経験のないまま横綱に昇進した唯一の力士で、新入幕から12場所での横綱昇進は、年6場所制が定着した昭和33年以降では、2番目のスピードです。しこ名は、60代横綱となったのを機に「北尾」から「双羽黒」に改名しました。
その後、昭和62年に師匠とトラブルになり部屋を飛び出すなどして騒動となり、横綱在位わずか8場所で、優勝を経験することなく「廃業」という形で角界を去りました。
角界を去った北尾さんは、プロレスラーとしてリングに上がるなどしていました。
関係者によりますと北尾さんは、平成25年から腎臓の病気で闘病生活を送っていましたが先月10日の午前7時半、慢性腎不全のため千葉県内の病院で亡くなったということです。
妻の淑惠さんは「何かと世間をお騒がせしましたが、主人は曲がったことが大嫌いなとてもピュアな人でした。この場をお借りしまして主人を応援して下さった皆さまに厚く御礼を申し上げます」とコメントを発表しました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190329/k10011866681000.html
*1:See also https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20080116/1200506920 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20100211/1265820994 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/20180215/1518652434
*2:See 「双羽黒死す…慢性腎不全、波乱万丈の横綱が55歳で早すぎる死」https://www.sanspo.com/sports/news/20190330/sum19033005040001-n1.html
*3:サンスポの記事によると、晩年の北尾氏は関係者との連絡を絶って、世間から隠れてしまった。
*4:See https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/03/01/233801 https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/03/03/234549