「半ドン」だった?

堀井憲一郎*1「『ちむどんどん』では何故1971年にヒットしていない『翼をください』が歌われるのか」https://news.yahoo.co.jp/byline/horiikenichiro/20220502-00294255


曰く、


朝ドラ『ちむどんどん』(主演・黒島結菜)は第三週に入り、時代は1971年である。

昭和46年。沖縄返還の前年である。

沖縄返還されたのは翌年昭和47年の5月15日であり、月曜日であった。

そして沖縄本土返還を祝して、この日の学校は(たぶん官公庁も)半ドンになった。

(少なくとも京都のうちの中学校は半ドンであった)

半ドン

午前中だけ授業があって(官公庁なら業務があって)午後が完全休みになる半休のことである。この時代、土曜はずっと半休であった。昭和の日本はそういう世界であった。

1972年の5月15日は「半ドン」だったのか! 全然憶えていない。
そして、沖縄から離れて、

週休二日が増えるのは平成に入ってからである。

のちに「バブル」と呼ばれる時代も当然週休一日であって、ボディコンのOLたちも土曜半日働いていたのである。会社でボディコンシャスな服は着てなかったとはおもうが。

「平成に入ってから」公務員が「週休二日」になって、「週休二日」が完全に定着するわけだけど、1970年代後半から1980年代にかけて、「週休二日」は着実に増えていったのではないかと思う。80年代後半といえば、『朝生』*2の放送開始だけれど、あれは土曜日が休みの人が増えていることを前提にしていたと思う。1980年代前半までは、深夜のTV番組ということで話題になるのは、日曜早朝の非リア充男性向けのエロ番組だった。
さて、

ドラマのなかで、1971年夏に『翼をください』よく歌っているのをみて、ずいぶん不思議な感じがする。

私の知らない世界があったのだろうとおもいつつ、違和感は拭えない。

少なくとも私のまわりでは、『翼をください』は1971年の9月にみんなで歌える歌ではなかった。

という。たしかに、1971年の私は「 翼をください」を知らなかった。というか、「 翼をください」が「竹田の子守唄」のB面だったということを初めて知った。1971年の歌ということで、記憶に残っているのは、堀井氏がこの後で言及している南沙織の「17才」、それから尾崎紀世彦の「また逢う日まで*3だな。

1971年の沖縄の女の子が歌うのなら、まず『17才』ではないだろうか。

沖縄出身の南沙織の曲である。

1971年の夏に大ヒットした。

ラジオでもがんがん流れていた。

南沙織は沖縄出身で、まだ返還前だった沖縄から出て来た歌手として評判であった。

『17才』の「だれもいない海」で始まる歌詞を聞くと、わたしはふつうに沖縄の海をおもいうかべていた(もちろん行ったことなかったけれど)。

1971年の少年の多くはそうだったのではないか。

堀井氏も「当時の沖縄のリアルな空気は知らない」と言っている。ここで述べられていることは、あくまでもヤマトンチュー男子にとっての南沙織なのではないか? 1970年代前半に、南沙織が一般のポップス・ファンだけでなく吉田拓郎泉谷しげるといったプロのミュージシャンや大岡昇平のような知識人にも強い衝撃を残したことは事実なのだが*4ウチナンチューにとっての南沙織というのは(少なくとも)私にはわからない。