泣くな(柳広司)

柳広司「泣かない読書――灰谷健次郎『兎の目』」『図書』(岩波書店)841、pp.36-40、2019*1


灰谷健次郎『兎の目』には直接関係ないが、記事のタイトルに直接関係するパッセージ。


泣ける小説。
という売り文句を最近書店の売り場でよく見かける。
子供、動物、難病物といわれる作品を市場で扱う際、たいていは版元と書店が一緒になって、帯やらポップやらを使い、「何回泣ける」「思わず泣いた」「号泣本」などと鳥肌が立つような謳い文句で読者に訴えかけている。たまたまかと思ったら、何度も繰り返し、しかも別々の本の広告で見たので、きっと販売効果が上がっているのだろう。
井上陽水の歌詞ではないが、大の大人が人前で涙を流す、泣く、のはよほどのことだという意識が、少なくとも私の世代まではあった。「思わず泣いた」「号泣した」「何回泣いた」などと、引き出しの奥深くしまった日記帳にならともかく、不特定多数の者の目にふれる媒体に書くことは、正直言って恥ずかしい行為だった。昨今はむしろ自分が泣いた事実をひけらかすのが流行らしいので、あえて版元、書店、読者にいう。
本作*2には子供、動物、難病、死者との約束といった要素が一通り揃っている。たぶん、「泣ける小説」なのだろう。だが、だとすればなおのこと、本作に「泣ける小説」という宣伝文句を使うのはやめて欲しい。「読んで泣けた」という読者感想も聞きたくない。
(略)
”泣く”という行為*3は人の思考を停止させる。本書を読んで、もし泣きそうになっても、歯を食いしばって、考えてほしい。「泣ける小説」だからこそ「泣かない読書」を試みてほしい。(p.40)

*1:Mentioned in https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/03/05/210810

*2:『兎の目』。

*3:そもそも「泣く」ことは「行為」なのだろうか。