「近代を相撲界に持ち込んだ最初の横綱」

承前*1

『日刊スポーツ』の記事;


デーモン閣下、輪島さん偲び「千秋楽」歌って別れ
記事提供:日刊スポーツ
2018年10月15日


咽頭がんと肺がんの影響による衰弱のため、8日に70歳で亡くなった、大相撲の元横綱で、プロレスラーやタレントとしても活躍した輪島大士さんの葬儀・告別式が15日、東京・青山葬儀所で営まれた。芸能界からも、デーモン閣下*2福沢朗(55)錦野旦(69)らが故人をしのんで参列した。

デーモン閣下は弔辞を読み「わが輩は世を忍ぶ仮の小学校低学年の時からずっと輪島関のファンでした。輪島関がいなければ、今、わが輩が相撲ファンとして何十年もいろんな所でコメントをしていることはなかった。相撲においては、わが輩にとって今まで一番大事な人だった」と語った。

さらに、輪島さんとカラオケに初めて行き「輪島さんの歌を聴き、わが輩も歌った時、こんなことがあるんだと思ったものでした」。また、自身が短編映画を撮る際には「閣下のためなら何でも引き受けると言って、父親の役を演じてくれた」と、思い出を振り返った。

この日は葬儀だが、服装は普段のミュージシャンの格好。最後は歌が好きだったという輪島さんに向け、力士が引退する時、どんな気持ちかを思い描き、数年前に作ったという曲「千秋楽」を歌った。
https://www.asahi.com/and_M/interest/entertainment/Cfettp01810152426.html

デーモン閣下、輪島さんへ別れ「前向きでした」」という別の『日刊スポーツ』の記事*3から引用する;

最後は輪島さんを「わが輩を相撲ファンにさせた男」と語ると「大学の学生横綱をへて大相撲の横綱になったのは輪島さんが初めて。戦後生まれでもあるし、伝統や格式を重んじる中、破天荒と言われるが、1970年代の若者がどんな思考をして生活しているかという文化を相撲界に持ち込んだ人と思っている。言い方を変えると近代を相撲界に持ち込んだ最初の横綱と言ってもいい」と語った。

もし相撲界に輪島さんが残っていたら「昨今の相撲界のゴタゴタも少しは解決する役割を担っていたかも」と語った。