デーモンと武井

承前*1

『スポーツ報知』の記事;


デーモン閣下、“かわいがり”は必要と「相撲協会750人のうち740人が思ってる」と指摘
2017年11月29日13時59分 スポーツ報知

 好角家として知られるミュージシャンのデーモン閣下*2が29日、TBS系情報番組「ひるおび」(月〜金曜・前10時25分)に生出演し、横綱日馬富士(33)=伊勢ケ浜=が貴ノ岩(27)=貴乃花=に暴行して負傷させた問題についてコメントした。

 デーモン閣下は「ちょっと改造手術をして、入院とかしてたんで」とケガをしていたことを明かし、松葉杖をついて登場。この日明らかになった日馬富士の引退に「世間一般的にはこういうことになるのは当然だという風潮はあるでしょうけど、相撲ファンとしては一番望んでいなかった結果」と言い、「場所前も横審総見で4横綱ほとんど休んでる中、日馬富士だけが頑張って若手に胸を出して横綱らしさを見せていた。吾輩はそれを見て立派な横綱になったなと本人にも言ったくらい。そんな矢先なので」と明かした。

 また「今回の件が世間を騒がせる大きな理由に2つ問題があると思う」とし、「1つは横綱が暴行を起こした。その暴行がどのくらいの処分に値する問題だったか」と指摘。

 もう1つは相撲協会の体質について言及。相撲協会が公益財団法人に移行し「かわいがりと称して体罰するのを一切止めましょうと表向きに言っていた」が、関係者の多くが「多少の体罰なしでは指導できるわけないんじゃないかと思っている」と指摘。「750人いる相撲協会の人のうち740人ぐらいまでそう思ってる」と語った。

 その上で「多かれ少なかれ若い奴らを指導するのに番付上位のものが手を出すことは当たり前だと思ってる。本当に心の底から相撲協会全員が一丸となって、今の時代に反することなんだから心を入れ替えてそういうことをやらないで指導していくことができるかどうかの岐路に立たされている」とコメントした。

 また、貴乃花親方(45)は相撲協会理事として「経営者でもある」と指摘。理事として改革を目指す貴乃花が「なあなあの昔ながらの意識の中でやっているならそれは立派」としたが、「自分の部屋の若手がひどい目に遭わされて、私情が絡む。そこのバランスが上手く取らなかったなというのが吾輩の見方」と語った。
http://www.hochi.co.jp/entertainment/20171129-OHT1T50122.html

また、武井壮さん*3の意見が共感を呼んでいるのだという;


オトナンサー編集部「日馬富士問題に関する武井壮さんのツイートが「正論」だと話題に…専門家も共感「指導は相手ファースト」」https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171201-00010002-otonans-soci


曰く、


「みんな認識おかしいよ。先輩の前で携帯触ろうが逆鱗に触れようが注意されたりダメなやつだと思われるただのマナーの欠如。それを失礼だからとぶん殴るのは暴行傷害という犯罪ですよ。本当によく考えて下さいね。『失礼な事』をした相手を注意するのは結構、許さないのも結構、ただ殴れば犯罪ですよ」(11月28日)

「コンビニで店員の態度が気に入らなくてぶん殴る、大統領が記者の態度が気に入らず蹴り入れる、先生が生徒を叱ってる時まともに聞かないからぶん殴る、金メダリストに失礼な態度を取った後輩を先輩がぶん殴る、全部犯罪だし正当化できる理由などない。礼を失ったとしても人格を失うわけじゃないんだよ」(同)

「スポーツ界だろうが会社だろうがなんだろうが立場が上の人間が暴力振るうなんてのは野蛮で低俗な行為だよ。上司や先輩なんてのは立場や経歴が上ってだけで『人としての権利が上』なんて事あっちゃならねえんだよ。下の者の礼節がなってないなら態度と言葉で示して導くから尊敬されるんじゃねえのな?」(11月29日)

 11月29日のツイートは12月1日午後2時半現在「リツイート」が1万4000件、「いいね」が2万7000件に上っており、「正論」「説教や説得をする時にその人の生き方とか考え方が出る説得力ってすごく大事ですね」などと称賛の声が数多く上がっています。

記事の後半では、西出ひろ子という「マナーコンサルタント」の方へのインタヴューが収録されている。
中国的(儒家的)な「礼」*4とは一先ず切り離して、礼儀というのを、人間の振る舞い(所作)を美学的な基準で以て規制することと暫定的に定義してみる。また、礼儀に適った美しい所作を身に着けさせることが躾けだということになる。先ず言えるのは、こういう意味での礼儀というのは生きるために必須のものではないので、余裕のない貧困層などでは今言った意味での躾けはなされなかった。勿論、特に女性にとっては、躾けられていること、礼儀を所有していることは結婚市場では有利に働くので、少し生活に余裕のある親は自分たちの娘を、より高度な礼儀を習得させるために、教育機関としての(大奥を含む)武家屋敷の女中奉公に送っていた。また別の面を考えてみると、礼儀というのには、ネガティヴな行為を明確に禁止することなく抑制することが期待されていた(いる)のでは? 例えば自殺を直接禁止するのではなく煩雑な切腹の作法を定める。それによって、自殺への敷居はかなり高くなる、とか。
ところで、日馬富士貴ノ岩のことを「弟弟子」と言っていた。これについては、ちゃんと日本語の指導を行ってあげるべきだよ。