依存症よりも恐ろしい

所謂カジノ解禁法*1にはギャンブル依存症対策の遂行が附帯決議として加えられているらしいのだが。


児玉克哉*2「カジノは日本を滅ぼすのか、発展させるのか〜カジノ構想の5つの課題」http://bylines.news.yahoo.co.jp/kodamakatsuya/20161214-00065474/


「依存症対策」として、


(前略)A.会員登録制 まずは日本人には会員登録をすることだ。ギャンブル依存症として家族や病院などからの連絡があれば、入場拒否の措置をとることができる。また生活保護者や自己破綻者の情報と連携させて、入場拒否を行うことができる。マイナンバー制度ができているのだから、問題が確認されるなら入場ができなくなる仕組みが作れる。外国人はパスポート確認ということだろうが、住民登録をした外国人は日本人と同様にマイナンバーによる登録制が必要だ。外国人であっても、日本に住民登録をした場合、マイナンバーが付番される。入場規制ができる体制をとることが必要だ。(後略)
というのが提案されている。つまり、カジノを娯しもうとする人は個人的なプライヴァシーを剝奪されて、国家権力及び精神医療の監視下に置かれるということだ。児玉氏は同様な規制をカジノだけでなく、パチンコや競馬などの公営ギャンブルにも適用すべきだと説く。相当の割合の市民のプライヴァシーが撤廃された社会。依存症患者が蔓延した社会よりも恐ろしいということは言うまでもない。或いは、そこまでしなければいけないんだったら、カジノ解禁は要らない。
ところで、

カジノ法案は、正式名を「統合型リゾート(IR)整備推進法案」というわけで、意味あるものにするには文化繁栄やまちづくりの発想が必要だ。文化のテーマパークの一部にカジノがある、という状況にしたい。日本文化を海外の旅行者に楽しんでもらうような「仕掛け」が求められる。日本文化が体験でき、高級な日本文化に触れ、入手できる仕組みづくりが必要だ。日本の伝統文化は注目されているが、後継者もいなくなり、実際には風前の灯にあるものが多い。高度な伝統技術を用い、手間をかけた芸術をビジネスとして展開する場とすることもこのカジノリゾートの目的の一つになる。世界の金持ちが日本の最高文化財に触れ、それらを購入する。それによってなくなりつつある伝統文化が息を吹き返すかも知れない。能や歌舞伎、浄瑠璃狂言などの公演の場も作りたいものだ。こうした総合的な構想がどこまでできるのか。単なるギャンブルの場所なら、価値よりもマイナス要素の方が大きい。
誰がカジノ付きの「テーマパーク」にお能や歌舞伎を観に行くか。まあ「能や歌舞伎、浄瑠璃狂言などの公演の場」という表現を見れば、これを書いた人が能楽についても歌舞伎についても、知識も関心もないということは見当がつくのだけど。