二度目の死?

創文社解散のニュース*1の衝撃度は如何程のものだったのだろうか。もし全然衝撃的じゃないとすれば、そっちの方が衝撃的だ。

さて、「東京商工リサーチ」の記事;


哲学書などの専門出版社、(株)新思索社が破産開始決定

東京商工リサーチ 7月21日(木)15時41分配信


 (株)新思索社TSR企業コード:018181368、法人番号:7011101008924、新宿区大京町25−3、設立平成6年9月、資本金1000万円、小泉孝一社長)は7月13日、東京地裁より破産開始決定を受けた。破産管財人には魚谷隆英弁護士(うおや総合法律事務所、中央区京橋(以下略))が選任された。
 負債総額は債権者18名に対して5099万円。
 哲学書人間学心理学、社会学、自然系などの出版を手掛けていた。「精神と自然」や「精神の生態学」、「社会学への招待」*2などの専門書を出版していたが、出版不況から販売も伸び悩み、業績低迷が続いていた。こうしたなか、小泉社長が亡くなったことで事業継続を断念。平成28年7月8日に取締役が破産を申し立てていた。
 債権届出期間は8月17日まで、第1回債権者集会は10月3日午後3時より。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160721-00010001-biz_shoko-bus_all

新思索社」という文字列を読んで、一瞬??と思った。数分後に、昔は「新」がなくて「思索社」と言っていたんだよな、と思い出した。一度死んで、「新思索社」として生き返ったわけだ。こういうとき、出版社の場合だと、後ろに「新社」が付くのが普通じゃないか? 例えば、河出書房新社とか。中央公論社も読売の介入(救済)以降は中央公論新社になっている筈。文春も一時期、文藝春秋新社と名乗っていた。
哲学書などの専門出版社」ということだけど、思索社から出ている(た)狭い意味での「哲学書」には例えばどんなものがあるのだろうか。例として挙がっているのは何れも狭い意味での「哲学書」ではない。最初の2点はグレゴリー・ベイトソン*3、もう1点はピーター・バーガー先生。ベイトソンを1つのディシプリンに押籠めるのは難しいけれど、強引に言ってしまえば、文化人類学とか精神病理学とか生物学とか情報理論ということになるのだろう。狭い意味で「哲学」に嵌め込もうという人はあまりいないと思う。バーガー先生のは文字通り「社会学」の本。まあ、バーガー先生によって「社会学」へ「招待」されたけど、同時にそれにつられて、(かつての私のように)アルフレート・シュッツを読み、さらにはフッサールを読んだという人も少なくないのでは? 話を戻すと、思索社というのはコンラート・ローレンツなどの生物学関係の本というイメージが強い。日高敏隆*4思索社から何冊か出していた筈。それから、思索社はヴァン・デル・ポストの『影の獄にて』の版元である。思索社に「新」がついて「新思索社」になった一因は実はこの本にあるようなのだ。『影の獄にて』が大島渚によって『戦場のメリークリスマス*5として映画化されたことによって、本の方もそれなりに売れたのだった。しかし、そのことが経営判断を狂わせていく。四方田犬彦『先生とわたし』*6から少し引用しておく;

さて、『影の獄にて』のヒットで勢いづいた出版元の思索社は、自社でも映画を製作しようと野心を抱き、原将人を監督に、日本版『E.T.』を東北の原生林を舞台に撮る計画が持ち上がった。もっともこの計画は失敗に終り、すべては灰燼に帰した。それどころか、本来のヴァン・デル・ポスト選集の継続的刊行すらが危ぶまれることとなった。わたしはヴァン・デル・ポスト選集には誘われなかったが、別に由良君美から推薦されて、ユングの心理学と政治をめぐる書物の翻訳を始めていた。だがこれも途中で中止となった。肝心の出版社が経営危機に陥ったことと、わたしが仕上げた部分の訳稿を、由良君美が書斎の書物の山のなかに紛失してしまったらしいことがその原因だった。編集者はわたしに向かって、なかなかあの大先生に、もう一度書斎にあたって原稿を探してくださいとはいい辛いのですよと、弁解した。こうして由良君美思索社との関係は終った(後略)(pp.186-187)。
社会学への招待

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影の獄にて (ポスト選集 1)

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戦場のメリークリスマス [DVD]

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先生とわたし (新潮文庫)

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