パウロ/親鸞(メモ)

宗教論争

宗教論争

吉本隆明、小川国夫「宗教論争」*1(in 『宗教論争』、pp.193-230)から。
新約の「ローマ人への手紙」を巡って。


小川 (前略)悪人こそは神の輝きのために存在するとパウロが説いてきたら、それなら我々は悪に専念して神の輝きを増そうという人々が現れてきた、と書いてある。しかしパウロは、それはダメだと答えているんです。聖書から敷衍してその趣旨を言いますと、パウロは、私はあなたがた悪人よりも悪を知っている、だからこそ、悪がとても魅力的で、神を輝かせるものだと言っているのだ、と。そして、悪を知っているからこそ、結局悪はダメなんだとも言えるのだ、というんですね。パウロは最初は体制側の官憲でしたから、当時ナザレ派と呼ばれたキリスト教徒を迫害して、殺した経験もあったかもしれないんです。だから悪を本当に知っていた。
吉本 『歎異抄』でも、親鸞が弟子の唯円に「俺の言うことを何でも聞くと言うのなら、人を千人殺してみろ」という部分があります。唯円が「自分には人一人を殺す器量もないからできません」と答えると、親鸞は「そうだろう、人間は機縁がなければ一人の人さえ殺せない、しかし殺したくないと思っていても、機縁があれば、百人千人殺すこともあるのだ」と言っているんですね。これは戦争や死刑制度を考えれば、現実として理解できます。でもこの辺りが、僕の、人間性と悪への理解の限界ですね。ここから先は信仰の世界ですから、入れないなと思うんです。新しい善悪観が現れたといっても、現実の中でそれをどの方向に、どこまで拡げていけばいいのかはわからないです。
小川 パウロは、悪を切り捨てたり、一方的に責めたてるのではなく、悪に目を注ぎ、悪への後悔とそこから救いを目指す気持ちこそが宗教なんだと言いました。それは、体制側にいて迫害をし、殺しにも関わってきたパウロが、自分は人間に対する犯罪を明らかに犯したと考えて、キリスト教に転向したことと繋がります。四十数歳から六十数歳まで、パウロの残りの人生はすべて償いなんです。
パウロは革命的だったと思います。ユダヤ教の大きな構築の中から出てきた人が、既成のユダヤ教は神の真意を取り違えていると言った。親鸞も同じです。仏の真意は、山岳宗教を含めたそれまでの修法の仏教とは違うところにあると言ったのですから。両者とも、宗教の中で、悪の意義を新しい方向に拡げたわけですね。(pp.200-201)
歎異抄 (講談社学術文庫)

歎異抄 (講談社学術文庫)

小川国夫のパウロへの言及は、「新共同訳聖書を読む」(pp.173-175)も見られたい*2