「大晦日」の話

新装版 父の詫び状 (文春文庫)

新装版 父の詫び状 (文春文庫)

向田邦子「兎と亀」(in 『父の詫び状』*1、pp.205-215)


冒頭に曰く、


一度だけだが、外国でお正月を迎えたことがある。
五年前に、南米ペルーの首府リマで暮からお三箇日を過ごしたのだが、この街の大晦日はなかなか壮観であった。おひる過ぎになると、オフィスの窓から、一年中の要らなくなった書類を一斉に路上に投げ捨てるのである。目抜き通りに立つと、高層ビルの窓いう窓から、白い紙がまるで大判の雪のように降ってくる。昔は、不用になった机や椅子などもおっぽり出したそうだが、怪我人が出るので禁止され、今は書類だけに限られているという。
ペルーはちょうど日本の裏側で、大晦日といっても日本の五月の陽気である。鮮かな色の半袖シャツの男女が、にぎやかにふざけながら窓から身を乗り出して、或は細かく千切り或は大きいまま下にほうり投げる。捨てるほうも浮かれているし、頭から紙吹雪を浴びる通行人の方も弾んでいる。インディオの土産物屋のペットで放し飼いにされているリャーマの仔が興奮して、首の鈴を鳴らして走り廻っているのも可愛らしい。
路上はみるみる紙の雪が降りつもり、出勤した市の清掃車が片づけていた。これがこの国の仕事納めであり大掃除なのだろう。(pp.205-206)
子どものころ、外国では大晦日になるとゴミを窓から放り投げるんだよという話をよく大人がしていた。ただ、それは「ペルーの首府リマ」ではなく紐育の話であることが多かったような気がする。しかしながら、「路上」に「紙の雪が降りつも」っている写真も、「通行人」が「頭から紙吹雪を浴び」ている動画も観たことはない。それで、大晦日の紙吹雪というのは大人による〈子ども騙し〉だったのだと納得し、やがて記憶の片隅に放置されるようになった。向田邦子の文章を読んで、そうした記憶が再生され、また大晦日の紙吹雪というのはやはり本当の話だったんだねと思った。
ところで、最近では、紐育にせよリマにせよ、そういう大晦日の話を聞くことはない。この〈悪習〉(?)が廃れたのは何時頃なのだろうか。