「卵」(向田邦子)

新装版 父の詫び状 (文春文庫)

新装版 父の詫び状 (文春文庫)

向田邦子「卵とわたし」(『父の詫び状』*1、pp.270-281)から。


知人の姉が交通事故で亡くなった。買物の帰りに奇禍に遭われたのだが、買物かごの中の卵はひとつも割れていなかったという。
これは恐ろしいはなしだが、アメリカのニュースは楽しかった。随分前のことだが、イースターの前日に、ハイウェイで、卵を満載した大トレーラーが横転した。卵は全滅かと思われたが、たった一個だけ、割れないで残った卵があったという。この卵は、誰が食べたか、そこまでは書いてなかったが、どうも卵には不思議な力があるように思えてならない。(pp.275-277)

ブランクーシは卵形をモティーフに使う彫刻家だが、銀座の画廊で山県寿夫氏の卵と手をテーマにした木彫を見つけ、あたたかさに心打たれたこともあった。
卵の形で思い出すのは、マチスのエピソードである。
この人は大変な努力家で、毎日卵のデッサンをして死ぬ日までつづけたというのである。私は全く絵心のない人間だが、卵というものはどう描くのかと思って、やってみた。実にむずかしい。どうしても卵にならない。丁寧に描くと石ころかじゃがいもになってしまう。肩の力を抜いて、一息に描くと、鳥の子餅*2になってしまうのである。(p.277)
向田さんとは相容れないところが少なくともひとつはあるようだ。曰く、「炊きたての御飯の上に生卵をかけて食べるのは、子供の頃から大好きだった」(p.273)。私の方は、「生卵」が大嫌いで、かつて「あれは蛇の食べ物であって人間の食べ物ではないでしょ」とまで書いたのだった*3