隣りの稲荷(向田邦子)

新装版 父の詫び状 (文春文庫)

新装版 父の詫び状 (文春文庫)

向田邦子「隣の神様」(in 『父の詫び状』*1、pp.32-43)


曰く、


私の住まいは青山のマンションだが、すぐ隣りはお稲荷さんの社である。
大松稲荷*2と名前は大きいが、小ぢんまりしたおやしろで、鳥居の横にあまり栄養のよくない中位の松がある。
七年前、マンションに入居した最初の晩に、お隣さんでもあることだし、ご挨拶して置こうと、通りかかったついでに鳥居をくぐったのだが、小さな拝殿のすぐ横が、社務所になっていて、取り込み忘れた股引きが、白く突っぱって木枯らしに揺れていた。よく見ると、股引きの下がっているビニールのひもが、キツネのしっぽと賽銭箱の間に張ってあるのである。これでは、お稲荷さんを拝むのか股引きを拝むのか判らなくなってしまう。興ざめして、出したお賽銭を引っこめて帰ってきた。
はじめに「そびれる」と、どうもあとはその気分が尾を引いてしまう。それと、神様や仏様というのは、自分の住まいと離れて、少し遠い方が有難味が湧く。
すぐ隣りが神様というのはご利益がうすいような気がして、つい失礼を重ねてきた。
ところが、つい先だって通りかかると、初老の男性が。鳥居に寄りかかって靴を脱ぎハダシになり、ポケットからセロハンに包んだ黒い靴下を取り出し、正札を取ってはき替えている。黒い背広で喪章をつけていた。茶の縞模様の靴下をポケットに仕舞い、拝殿にちょっと頭を下げて出て行った。これから葬儀に行くのだ。
私は、何となく素直な気持になり、十円玉をひとつほうって、頭を下げた。隣りの神様を拝むのに、七年かかってしまった。(pp.43-43)
さて、

表参道交差点から根津美術館へ向かう大通り沿いにある小さな稲荷神社。1839年、この地にあった非常に大きな松の木が暴風で折れてしまったため、小祠がむすばれたのが由縁とされる。祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。向田邦子の終の棲家となったマンションの隣りにあり、エッセイ『父の詫び状』にも同社は登場している。
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