須賀敦子『霧のむこうに住みたい』

須賀敦子さんの『霧のむこうに住みたい』*1を読了したのは先月のこと*2


I
七年目のチーズ
ビアンカの家
アスパラガスの記憶
悪魔のジージョ
マドモアゼル・ヴェ
なんともちぐはぐな贈り物
屋根裏部屋と地下の部屋で
思い出せなかった話
ヤマモトさんの送別会
私のなかのナタリア・ギンズブルグ


II
フィレンツェ 急がないで、歩く、街。
ジェノワという町
ゲットのことなど ローマからの手紙
ミラノの季節
太陽を追った正月
芦屋のころ
となり町の山車のように
ヴェネツィアに住みたい
アッシジに住みたい
ローマに住みたい
霧のむこうに住みたい


III
白い本棚
大洗濯の日
街路樹の下のキオスク
リベッタ通りの名もない牛乳屋
ピノッキオたち
クロスワード・パズルでねむれない
パラッツィ・イタリア語辞典
古いイタリアの料理書


解説――雨の日を繙く(江國香織
文庫版解説――光が射す瞬間(松山厳)

これは須賀さんの死後に編集された文集なので、(長編エッセイというかたちを取る)須賀さんの他の著作とは違って、本を貫く著者の意図=意味を読み取ることはできず、また読む取ろうとすべきではないだろう。ただ、ひとつ言えば、この本を読んだ多くの人が、須賀敦子というのは周縁的な人々に対する共感的眼差しを有した物書きだったという印象をもつだろう。それが特に顕著なのは、「ヤマモトさんの送別会」、「ゲットのことなど ローマからの手紙」、(表題作にもなっている)「霧のむこうに住みたい」。
それについては後日言及するとして、江國香織さんの文章を書き出しておきたい;

須賀敦子さんの御本を読んでいると、どうしてだろう、雨が降っている気分になる。いつも。
没頭して頁をめくり、知らない街の古い石畳や行きかう人や、愉しげな食材店や季節ごとの木々や、注意深く綴られる誰かの横顔にひきこまれ魅了され、ふと本を離れると、私は東京の片隅の小さな自分の部屋にいて、窓の外は雨が降っている。部屋の中が随分暗い。もう夕方なのだ。電気をつけることさえ忘れていた。
そういう気分になるのだ。だからたとえば外が晴れていたり、そもそも夜で、ちゃんと部屋の電気がついていたりすると、間違った場所に帰ってきたような気がする。あわてて本の中に戻る。するとまたやがて、おもては雨が降っている、としか思えない気配に、しっとりと包まれる。(p.173)
金曜日も一日中雨だったのだ。