「文法的にはなんの問題もありません」

外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か (岩波新書)

外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か (岩波新書)

白井恭弘*1『外国語学習の科学』から。
「文法的にはなんの問題も」ないけれど「非常に奇妙な」「英文」として(p.88)、


The brothers of my parents were four.

Your marrying me is desired by me.

The fact that Harry could be brought by you causes me to be so glad.

というのが挙げられている(p.87)。白井氏は

これらの英文がおかしいかどうかは、単語と文法を勉強するだけでは、わからないのです。一方、母語話者はどんな文なら正しく、どんな文がおかしいか、みなわかっています。(p.88)
これらの文はA. Pawley & F H. Snyder “Two puzzles for linguistic theory: Nativelike selection and nativelike fluency”(in J. C. Richards & R. W. Schmidt (eds.) Language and Communication, 1983)から引っ張ってきたものらしいのだが、白井氏は、

(前略)これを見た時に、筆者は、「あ、これは自分が大学一年の時に話していていた英語だ」と思いました。典型的受験英語で育ったため、英作文の延長で、自分の知っている単語を知っている文法でつなぎあわせて話していたわけです。それが文法的には正しくとも、自然かどうかということは知る由もありません。(後略)(pp.89-90)
と言っている。
そうなのかね。勿論、これらの英語が変だというのは一発で分かる。しかし、それは私が「母語話者」並みの英語力を持っているからではない。そうではなくて、素直じゃないというか、わざとややこしく考えているだろ、ということを感じるからだ。白井氏のように、上智の外国語学部に合格しちゃう人の場合、そうした感覚が抜け落ちてしまうのだろうか。前後の文脈を考えなければ、上の3つの文よりも、


My father had four brothers.
I want you to marry me.
I am so glad that you could bring Harry.


という文を生成する方がずっと楽というか、頭がこんがらがらないで済む。