「驚愕」、でもそんなものかも知れない

鈴木勇貴「驚愕の日本の英語力調査結果」http://www.huffingtonpost.jp/yuki-suzuki/english-education-in-japan_b_9258580.html


文部科学省の「平成26年度英語力調査結果(高校3年生)の速報(概要)」*1を巡って。
曰く、


調査結果は驚愕の一言だ。

これは英語力のあるなしとか、そういう議論は超越している。

日本の英語教育は、完全に大失敗という結果だ。


高校卒業程度以上の英語力をもつ高校生が2%。

2%!!!!!

学校で学ぶことで、2%の人しか身につかない。

結果が2%しか出ていない。

こんな大失敗があるだろうか?

ここまで大失敗だと、教えるが上手い下手とかではなく、教えること自体が無駄だ。

「高校卒業程度以上の英語力」というのは調査におけるCEFR(Common European Frame of Reference)のB1レヴェル。これは日本の英語検定2級に相当する。英検2級は「高校卒業程度」の英語力に対応する*2。そのB1レヴェルの人は、「読むこと」で2.0%、「聞くこと」(sic.)で2.0%、「書くこと」で0.7%、「話すこと」で1.7%。4つを平均すると1.6%になる。とにかく、英語教育を巡るよくある論争、書き言葉中心か話し言葉中心かとか、読解中心かコミュニケーション中心かといった論争は、そもそもその前提からして無効だということいなるだろう。4つ並べると、「書くこと」が異様に低いように見えるけど、冷静に考えれば4つとも異様に低いわけで、1%にも満たない差異を議論すること自体が無意味といえるだろう。この鈴木さんが「 教えるが(sic.)上手い下手とかではなく、教えること自体が無駄だ」と言いたくなるのも無理はないといえるだろう。調査報告は、「速報」であるので深い分析を期待することはそもそもできないものの、この結果に対する「驚愕」も、勿論危機感も感じられない。
と思いつつ、最初の興奮から醒めて冷静に考えてみる。この調査は6〜7月、すなわち一学期に行われたわけで、まだ高校生活が終わったわけじゃない。特に、「読むこと」に関しては、これから受験の追い込みによって急激に伸びていく人も少なくないんじゃないだろうか。また、英検準2級に相当するA2についていえば、それぞれ「読むこと」25.1%、「聞くこと」21.8%、「書くこと」12.8%、「話すこと」11.1%になっているが、これをどう評価するのか。でも、私の経験だと、英検2級を受ける人は大体高二の秋か高三の春に受けていたと思う。高三の二学期になると、受験のほうが忙しくなるので。とすると、6〜7月の段階でB1が約2%というのはいくら何でも少ないだろうという感じはする。
また、まあそういうものだろうと、エリート進学校出身ではない私は思ったりもする。でも、この文部科学省の調査は今回が初めてなので、時系列的な比較はないわけだ。だから、過去のことは、どうしても自分が生きた環境に左右された像しか浮かばなくなる。
あと、これは「英語力」だけの問題ではないだろうということはいえる。外国語の能力は母語第一言語)を通して培われてきた一般的な言語能力の影響という基礎の上に存在しているといえる。つまり、「英語」ができない奴はその日本語能力も相当劣化している可能性があるのだ*3
このエントリーを書くために、過去の自分のエントリーを検索したのだが、「日本語能力」の低下と「英語力」との関係については、以下のような記事があった。2007年の『産経新聞』の記事(コラム)から;

学生の日本語の間違いや語彙力低下に戸惑う大学関係者は少なくない。

 関東地方のある私立大学では数年前から、日本語表現法の講義内容が様変わりした。毎回、学生に漢字テストを課すようになったのだ。中学・高校レベルの問題ばかりだが、空欄が目立つ答案が多いうえに、「診談」(診断)、「業会」(業界)といった誤字も目立つ。

 「日本語表現法は、より良い表現を身につけるために『描写の際の視点の絞り方』などを教える講義。だが、最近は義務教育で身につけるべき表記や語彙、文法すら備わっていない学生が多いため、従来のやり方では授業が成り立たない」と、担当の准教授は話す。

 影響は他科目にも及ぶ。「英和辞典の訳語を説明するだけで時間が取られてしまう」。この大学で英語学を担当する教授は嘆く。

 英文解釈の講義で学生に「often」の意味を調べさせても、「しばしば」はもちろん、「頻繁に」といった訳語が理解できない。「『よく〜する』ではどうか、と聞いても、『よく』は『good』の意味としてしか認識していない学生すらいる」(教授)
(海老沢類「【大丈夫か日本語・上】大学なのに…中学生レベル6割!? 」http://www.sankei.co.jp/kyouiku/gakko/070430/gkk070430000.htm Cited in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070503/1178193559

さて、2007年の2月には、河村直哉という人は『産経新聞』に「英語教育、なんだか亡国的にも…」というコラムを書いていたのだった。曰く、

夕方の電車。人込みの向こうに、かわいらしい英語のおしゃべりが聞こえてきた。

 私など及びもつかぬ、きれいな発音だ。はてこのあたりにインターナショナルスクールでもあったかな、などとのんきに聞いていたが、ひょいと見てびっくり。ずっと英語でしゃべっていたのは、日本の学校のかばんをしょった日本の2人の男の子だった。

 悲しく切ない気分での、残りの車中となった。子供たちには、なんの罪もない。教わった英語に磨きをかけるためふだんの会話も英語ですることにしている、といったところだろうか。

 学校で習っているのか、塾に通っているのかは知らない。しかしこれは一体、どこの国の光景だ?

 小泉政権の愚策のなかでも最大のもののひとつは、構造改革特区などと称して公立小学校の教育に英語を導入させたことにあると断ずる。

 教育が国の未来を作るものであるならば、ほとんどこれは発想において亡国的であるというほかない。

 全国で、にょきにょきと英語を教える公立小学校が出てきた。その授業のもようを以前テレビで見たのだが、不愉快になって消した。

 私学や私塾であったり、家庭の方針で早い段階から英語を学ばせたい、というのならまだわかる。

 けれども、公教育の初等の段階から他国語を学ばせるとき、どんな公共社会を目指しているというのか。

 文学であれ歴史であれ、教えるべき日本語の財産は無尽蔵にある。英語のフレーズを覚えさせるくらいなら、意味なんかわからなくても万葉集の歌や芭蕉の句を暗唱させたほうがよっぽどよいと信じる。

 どうか公立学校で英語教育にたずさわる大人のみなさんには、英語を教える時間で奪われるぶんだけ、日本のすばらしさを子供たちに教えていただきたいと思う。
(後略)
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/education/40949/ Cited in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070301/1172719278

美味しい酒が飲めそうだね<河村

*1:http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/106/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2015/03/26/1356067_03_1.pdf

*2:http://www.eiken.or.jp/eiken/exam/about/

*3:日本人の母語はみな日本語であると、取り敢えず仮定しておくが、勿論、これは不正確である。