「英語教育の話ではない」

寺沢拓敬「「〈ローマ字〉表記による混乱」という報道の混乱ぶり」 https://news.yahoo.co.jp/byline/terasawatakunori/20170322-00069010/


「<ローマ字>表記で混乱 英語教科化、教員ら「一本化を」」という『毎日新聞』の記事*1へのコメント。
少し抜書き。


ローマ字は''一般的に''日本語をどう表記するかという日本語の話である。私たちが馴染んでいる漢字かな混じり文の日本語とは違う、オルタナティブな書記法を指す。

したがって、英語の話とは基本的に関係ない。英語科教育では、日本語由来の固有名詞等を表記するための方便としてローマ字表記を「利用させてもらっている」にすぎない。

また、「訓令式」と「ヘボン式」について;

訓令式は、日本人によって戦前期に考案された「日本式」の系譜につながるものである。日本語の音韻体系に即したものとされている。その点で体系性を重視している。なぜ体系性を重視したかといえば、漢字かな混じり文に代わるオルタナティブな書記法を目指しているからである。驚く人もいるかもしれないが、戦前からローマ字運動というものがあり、「非効率な」漢字や仮名を廃止して、ローマ字(アルファベット)書きによる日本語を確立しようとした人々がいた(現在もいる)。日本語話者のための日本語表記法としてのローマ字であり、日本語を知らない外国人等のための補助手段というのは少なくとも主たる目的でではなかった。

一方、ヘボン式は、ヘボン氏(カタカナ語風に読むと「ヘップバーン」)というアメリカ人が考案した日本語表記法である。英語風の表記が体系性よりも優先されている。ここには考案者が英語話者という事情があったのかもしれない(よく知らない)。

さて、寺沢氏に敢えて盾突いてみると、羅馬字というのは英語教育に根本的に関係しているとも言えると思う。氏の謂う「日本語由来の固有名詞」には人名、特に生徒の姓名が含まれる。羅馬字は署名ということに関係している。テストを受けるにしても、先ずやらなければいけないことは自分の名前を書くこと。宿題(レポート)の提出にしても、自分の名前を書くことは必須だ。寧ろ、試験やレポートは私たち(生徒)が自分の名前を書けることを前提としている(Cf. 戸塚ひろみ「「花子さん」と呼ぶとき」in 一柳廣孝編『「学校の怪談」はささやく』*2、pp.121-122)。まあ署名に関しては、ヘボン式だから駄目とか訓令式だから駄目といわずに、どちらも、つまりShinzo AbeでもSinzo Abeでも、個人の拘りと選択を尊重すべきであろう。選択するためには両方学ばなければいけないということになる。ところで、斎藤という苗字の知人が何時もPsytoeって署名していたよ。みんなプシトエって何だよ? と言っていたけれど、Psytoeという署名は英語の試験では許容されているのだろうか。
「学校の怪談」はささやく

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