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『読売』の記事;


必修でbe動詞教える大学、文科省が改善要求

 文部科学省は12日、新設の大学や学部などの運営状況を調べた2013年度の調査結果を発表した。

 中学校レベルの英語の授業で単位認定を行っていたり、教員数が大学設置基準を満たしていなかったりした266校に改善を要求した。

 調査は、卒業生がまだ出ていない新設の大学や短大、大学院を中心に、全国528校が対象。学生数が定員と大幅に異なったり、定年に達した教員を雇い続けたりする事例が目立ったほか、ヤマザキ学園大(東京都)では、必修科目の英語で、be動詞の使い方などを教える授業が行われており、同省は大学教育にふさわしい水準に改めるよう求めた。

 仙台青葉学院短大(仙台市)では、新設の学科で専任教員の7割以上が大卒や専門学校卒の資格しかなく、教育を行う体制が不十分とされた。聖隷クリストファー大(浜松市)では、新設の学科で大学設置基準上8人必要な専任教員が、調査時に6人しかいなかった。中部大(愛知県)の新設学科でも、設置基準上、教授4人が必要だが、2人しかいない時期があり、現在も3人にとどまっている。
(2014年2月12日23時18分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20140212-OYT1T01253.htm

ヤマザキ学園大」*1って一瞬麺麭屋さんの大学かと思ったのだけれど、そうではなく「動物看護の大学」なのね。
ところで、be動詞というのは変な動詞であり、be動詞がほかの例えばwalk(歩く)とかeat(食べる)と同じような動詞だということは、日本人(日本語のネイティヴ・スピーカー)にとってはなかなか容易に納得しがたいことなのではないだろうか。中国語でbe動詞に対応するのは



であろう。我是日本人、とか。しかし、日本人は1000年以上も中国語(漢文)と付き合ってきたにも拘わらず、近代に至るまで、遂に〈是〉を動詞として認識することはなかったわけだ。動詞とは似ても似つかない


コレ


というふうに読み下していた。
また西洋哲学の根柢には〈存在〉という問題がある。曰く、存在することと存在するもの(存在者)との区別、或いは現実存在と本質存在との区別*2、等。英語を使う人は、〈存在〉に関する動詞であるbe動詞を使用することによって、こうした根柢的な哲学問題に存在的(ontically)に関わることになる。然るに、be動詞に躓く人というのはそういう問題に存在論的(ontologically)に向き合ってしまう可能性がある。なので、be動詞に躓くことと「動物看護」との関係はわからないけれど、哲学的には重要なミスであるといえるかも知れない。
因みに、タイトルはbe動詞ということで思いついたフレーズなので、特にというか全く意味はない。