『掏摸』

掏摸(スリ) (河出文庫)

掏摸(スリ) (河出文庫)

悪意の手記 (新潮文庫)

悪意の手記 (新潮文庫)

中村文則『掏摸』を読了。その前に読んだ『悪意の手記』*1で提示されていたのは、私たちの所謂主体性の限界という問題である*2。私たちは主体的に悪人になったり善人になったりするということができるのか、という問題。親鸞的、『歎異抄』的? 

歎異抄 (講談社学術文庫)

歎異抄 (講談社学術文庫)


しかし、『掏摸』で展開されているのは、それとは一見対極的な主題である。私たちがプチ・ヤーヴェというかプチ・デミウルゴスになること*3は可能かという主題。プチ・ヤーヴェたらんとするのは、主人公=語り手の「僕」ではなく「木崎」という男である。彼は「僕」に対して、「まだ奴隷制度があった頃のフランス」の「ある貴族」(p.120)の話をする;

「その貴族の城の使用人として、十三歳の少年が売られてきた。……美しい少年だ。その貴族は人生に飽き、何か愉快なことを探していた。有り余る金を散財し、手に入れるものは全て手に入れた。様々な女を毎日のように抱いたし、権力も、名声も、全て手に入れた王のように君臨していた」
(略)
「貴族はその少年を見ながら、こいつの人生を、自分が完全に規定してやろうと思った。こいつの人生の進路、その喜びや悲しみ、そしてその死までを、自分が全て決めてやろうと。常にヤーヴェの管理下にあった、アブラハムやモーゼのようにだ。……貴族は一年かけて、その少年の人格と能力を観察した。こうすれば、こいつはこうなるだろうと大よその見当をつけた。紙を取り出し、幾日もかけて、貴族は少年のこれからの人生を記し始めた。運命のノートだ。そのノートの内容は、もう変更されない。そこに書かれている通りに、少年は生きていくことになる」
(略)
「少年は十五歳で好意を寄せる少女に出会い、結ばれる前に女は遠くの領地に移動させられ、三流映画のように涙で別れることになる。その少女を少年に近づかせたのもその貴族だし、離れさせたのも、当然貴族だ。十八歳の時一日だけ農奴である両親に会いに行くことを許され、その日、一家は山賊に襲われる。当然、それも全て貴族が指示したことで、貴族のノートにあらかじめ書いてあったことだ。少年は目の前で、両親を惨殺された。この時、貴族は椅子に座りながらドキドキしていたそうだ。自分のしていることの恐ろしさにではない。雇った山賊が、少年を間違えて殺さないかを、心配していたんだ。……失意と怒りの中で、少年の表情からは、あどけなさが消える。そして貴族の私設の兵士団から、剣を覚えないかと言われる。奴隷が騎士になるのは無理だが、戦場にいける。山賊狩りにも参加できる。少年は剣を覚える。当然、その兵士長も貴族の命令で動いている。少年は城の使用人をしながら、夜は剣の技術を学ぶ。少年に、一生消えない傷と生きがいができたわけだ。少年はヤーヴェに翻弄されたあのヨブのように、なぜ自分をこうしたんだと神に訴えることはない。自分が貴族の管理下にあることなど、知らないからだ。貴族は少年の細かい出来事の多くも、あらかじめ記録していた。たとえば少年は同じ使用人の女に誘惑されセックスをしてしまい、執事から処分されそうになるが、貴族の恩赦で救われたりする。少年はそのことで、さらに貴族に忠誠を誓うことになる。その他、使用人としての失態や、軽い褒美をもらうなど、少年は平凡な毎日をノート通りに送る。だが二十三歳の時、少年は人生の絶頂を迎える。つまり、ノートのクライマックスだ。山賊狩りに参加し、自分の両親を殺した山賊に、対面することになる。兵士長から、とどめはお前がやれと命じられる。愉快だろう? 少年は泣きながら、山賊を殺す。その後少年は二十六歳の時奴隷の女と貴族の命令で結婚するが、そのあまりに人格の破綻した女奴隷との生活に倦怠を感じ、誘惑されるまま、その貴族の愛人と関係を結び、頻繁に隠れて会うようになる。当然、それも全て、あらかじめ書かれたノート通りに、貴族が指示したことだ。やがてその貴族の愛人に子供ができ、貴族は全てを知りながら、数ある子供の中で、この子を跡取りにしたいと何気なく少年に告げる。少年は悩み、恐怖する。貴族の愛人が、大勢の貴族が集まる晩餐の席でそのことを、給仕する少年もいるところで告白しそうになり、途中で思い留まる場面まである。貴族は愉快でならない。そして少年が三十歳になった時、貴族は少年を部屋に呼び出す」
(略)
「……少年は、貴族から紐で綴じられた紙の束を渡された。少年がページを開くと、そこには、自分のこれまでの人生が書いてある。約十五年前に、書かれたものだ。それを見たときは、相当なショックだっただろう。最後、少年は愛人に手を出した罪で、それはもちろん貴族が仕込んだことだが、その罪で、貴族の目の前で殺されることになっていた。少年は座り込みながら、これまでの全てを整理することに、長い時間がかかっている。あらゆる感情で震えた少年が全てを理解し貴族を見上げた時、後ろにいた兵士が、少年の背中を刺す。……死ぬまでの間、少年が何を考えていたかわからない。だが、その貴族は、快楽に震えていたそうだ。女との喜びや富や名声では決して味わうことのできない、圧倒的な快楽で、貴族は笑うことも忘れた真剣な表情で、ただただ、何かを突き抜けたような真剣な表情で、その快楽を感じ続けた」(pp.121-124)
「木崎」は、「貴族」が「少年」の人生を決めたように、「僕」の人生の筋書きを書く。そして、それはほぼ成就してしまう。いまほぼと書いたのだが、完全に成就してしまうのかどうかを、中村は示していない。木崎の全能的な主体性の限界は間接的に示されるだけである。これについては、「僕」が子どもの頃に見た「塔」の幻影(p.154ff.)、また「僕」の昔の女である「佐江子」が「僕」とセックスしながら語る「光る、長いもの」のヴィジョン(p.96)が関係すると思うけれど、これについては別に書く予定。