2つの「東京」

我的中国 (岩波現代文庫)

我的中国 (岩波現代文庫)

リービ英雄『我的中国』*1から河南省開封*2を巡って;


(前略)シルクロードを経て一千余年前に西洋の周辺から渡ったユダヤ人が住みついて、中国人になって、近代国家の中の移民とはまったく違った形で近代の初期まではっきりとした「越境者たちの共同体」を維持していたと伝えられているのも、開封という不思議な「古い京」なのである。何々民族という近代人のアイデンティティとは違って、一千年前に西洋の周辺から東洋の中心に渡って、その東洋の大都市の人となった伝説の人たちの跡を追って、ぼくは何日か、島国の最先端の都市から、大陸の廃れた古い京へ旅したのである。当時の開封の名前は「東京*3」と呼ばれていたらしい。日本語読みでは「とうけい」という。飛行機の国際便と国内便と、列車やバスをうまく乗り継げば、一日で東京から「東京*4」に到着することができるという事実から、感銘を受けたこともある。
東京*5は湖の京だった。町の北部の二つの大きな湖に君臨する位置に、古代の宮殿であった「龍亭」が復元されている。急な石段の上に、黄金の屋根をもった建物がそびえ、そして中には王朝創立のときの儀礼の宴会の様子が展示されている。ろう人形の宮廷人に囲まれて、ろう人形の皇帝が腕を広げて、中心に安置されている。急な石段を上がってきた多くの大陸人の観光客が、そのワックスの皇帝を観て、ポケット・カメラで写真を撮っている。「皇帝だ!」という子供の声が聞こえた。ワックスの皇帝の顔が、ストロボの光で色を変えた。毛沢東の時代にはもちろん考えにくかった光景で、「ポスト天安門」の大陸における伝統ブームの強さを感じてしまう。文化大革命時代に破壊の対象となった古い京の「文物」が多く復元されて、どこにも大陸人観光客が大勢いる。
そして古い京の静かな通りから入った路地の中に、何の標識もなく、人知れずに、一千年にわたってその京に住んでその京の人となった「ユダヤ系中国人」たちのシナゴーグの井戸の遺跡がある。(pp.143-144)
ヴェトナム北部から中国南部にかけて広がる、漢語では「北部湾」とも呼ばれる「トンキン湾」という海*6。この「トンキン」も漢字で書けば「東京」ではある。