『アジア文化圏の時代』

アジア文化圏の時代―政治・経済・文化の新たなる担い手

アジア文化圏の時代―政治・経済・文化の新たなる担い手

レオン・ヴァンデルメールシュ『アジア文化圏の時代』(福鎌忠恕訳)*1を数日前に読了。


日本版への序文
訳者まえがき


序論 漢字文化圏の昨日・今日


第一部 経済的局面
第一章 独特な経済成長の活力
第二章 同一構造の経済発展


第二部 政治的局面
第一章 日中関係――和解と緊密化は民衆の意欲
第二章 朝鮮半島――連帯への高まる気運
第三章 中国、台湾、香港、澳門の再統一
第四章 中越危機――鍵握る中ソ関係


第三部 文化的局面
第一章 共有する最善のメディア――漢字
第二章 儒教の伝統とそのルネッサンス


結論 新しい文明形態の出現


解説
参考文献

この本の仏蘭西語原著が出版されたのが1986年、この訳本の出版が1987年である。当時は当然ながらまだ天安門事件は起こっていなかったし、韓国や台湾の民主化もされていなかった。そのような時代である。特に第1部と第2部を理解するにはそのような時代の雰囲気と限界を理解する必要があるだろう。またその頃は、亜細亜における近代化ということで専ら日本に対して向けられていた西洋の眼差し(例えばヴォーゲルジャパン・アズ・ナンバーワン』やライシャワー『ザ・ジャパニーズ』*2)が台湾や韓国の経済成長を受けて、〈儒教文化圏〉とか〈漢字文化圏〉という方向に変容或いは拡大していった時代と言えるかも知れない*3
ジャパン・アズ・ナンバーワン―アメリカへの教訓

ジャパン・アズ・ナンバーワン―アメリカへの教訓

ザ・ジャパニーズ―日本人

ザ・ジャパニーズ―日本人

この本の内容については、「日本版への序文」からヴァンデルメールシュ先生自ら要約していただくことにする;

(前略)漢字文化圏は、長い間持てなかった経済成長の諸手段を、すでに立派に備えています。恐らく、この文化圏がそこまで到達したのは、ひとえに経済成長を目指して堅い決意で西欧文化を師として学んだからでしょう。しかし、この文化圏は、研鑽の過程において、固有の精神を断じて失いませんでした。この点にこそ、本書で論じられている諸国にとっての、一種の独創的な活力の原動力が見出される、と私は信じます。この原動力によって、新漢字文化圏の国々は、その昔一緒に作り上げていた文化圏の復興に向かって驀進しています。事実、すでにこの文化圏は、西欧圏と対比して固有の相違点を再び強く打ち出しています。以上が本書で主張されているテーマです。
もちろん、かつて漢字によって一つの国から他の国へと伝達された儒教イデオロギーに、人々が今後回帰する見通しが開けつつある、と言うのではありません。この種の回帰を叫ぶ人々は時代錯誤に陥るでしょう。
本書で取り上げた国々ではすべて、過去との断絶が完全です。旧社会がイデオロギー的に分泌したものは何一つとして、もはやこの新社会には受け容れられていません。しかし、極東圏の文化的同一性の幾つかの基本的特徴、つまり、この文化圏の精神を形成している諸特徴は、決して消滅したとは言えません。前工業社会から新たに工業化された社会への革命も、これらの特徴を絶滅させず、ただ変質させただけでした。その証拠は、それらの特徴の言語学的基盤である漢字が、西欧化に抵抗して勝利を占めたことです。唯一の例外はベトナムですが、ベトナムの例は、生命力の一般的喪失という病的症候の好例にほかならず、本論考を正に反対の面から証明強化しています。
私は、東アジアの国々のこのような独自の文化的諸特徴を、それらの永続性を手がかりにして確かめようと努めました。この永続的な諸特徴は、同一の表意文字法(漢字)の使用によって親戚関係となっている諸社会のどこにでも見出されますし、今日それらの社会が示している横顔と同様に、かつて示していた横顔をも見せてくれます。
これまでにしばしば強調されたところによれば、漢字文化圏と西欧諸社会が、それぞれの文化的特徴について見せている対照の原因は、西欧に瀰漫している激烈な個人主義の傷痕が東アジアには存在しなかったことである、とされています。すべての社会的価値体系は、事実、必然的に二つの分局展を持ちます。それは、個人と共同体です。そして、この二つの価値分極点のどちらに文化的に力点が置かれるかに応じて、社会的な諸関係は一方向、あるいは其の逆の方向へと二極分化されます。ところで、この二分極点のどちらの選択を好ましく思うかは、たとえば、社会主義政治体制と自由主義政治体制のどちらを選択するかという問題とは無関係な、根深い文化的現象なのです。つまり、この選択は、政治的体制の問題とは別個なレベルで決定されるのです。しかも、この選択は避けることができません。なぜならば、人は、社会生活の分野で、同時に二方向に分極化することなどできないからです。また、一方の選択を他方の選択よりも好ましいとする何らの理由も存しません。
(後略)(pp.ii-iv)
「本書で取り上げた国々ではすべて、過去との断絶が完全です」について;

儒教の真髄は何に存しているのか? 三語をもって答えうる。すなわち、家族(familie)、儀礼(「礼」rite)、高級官僚制度(mandarinat)である。
これら一切は死んだ。それは事実である。これら一切は、諸事物の仏教的ビジョンに比べても、仏教儀礼的な慣行に比べた場合でさえも、より見事に死に絶えている。これらの仏教ビジョンや慣行は、特に日本では、近代化の峠を遙かに立派に乗り越えた。それは、このようなビジョンや慣行が世俗界の遙か上方で浮遊していたからこそであった。その反面、儒教儀礼は旧体制もろとも完全に消滅した。台湾ないし韓国の三、四の「文廟」、あるいは東京の「湯島聖堂」(いずれも孔子を祀る)において人為的に再建された若干の時代遅れの慣行が、旧儒教復活という錯覚を与えることは到底ありえない。高級官僚制度もまた生涯を終えた。儒教主義的家族についても、新たに工業化された諸国の中で、新年の訪問とか先祖崇拝の断片的行事のほかに、今日何が残存していようか?
儒教は旧社会とともに消滅せざるをえなかった。なぜなら、道教、仏教、神道あるいは朝鮮シャーマン教以上に、儒教は旧社会の原理そのものだったからである。また、現代史の影響を受けずに残った伝統的社会生活が、若干の最後の飛び地的存在として残存していたにせよ、それらが儒教文化の消滅と同時に何ら社会的変化を齎しえないことも明白である。この種の飛び地は、台湾内陸地域、香港新領域*4および華僑の幾つかの隔離地区において、民族学者のお役に立っているにすぎない。(pp.183-184)
また、これについて訳者の福鎌先生曰く、

(前略)大切なことは、この儒教そのものは「死んだ」という教授の言葉を正しく理解することである。いかにヴァンデルメールシュ教授といえども西欧人である。教授の幅広い宗教観の根底には、やはり西欧的キリスト教観が厳存している。ここで言われている「死」は、イエスの「死」で成立したキリスト教で意味されている「死」に喩えられるべきであろう。イエスは、釈迦のように「大往生」したのでも、孔子のように、不遇の一生ながらも「聖人」として尊崇されつつ生涯を終えたのでもない。イエスは、十字架上で死ぬことにより、復活したのである。つまり、この「死」は、イエス使徒の言う「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ばん」(ヨハネ伝第十二章二十四節)の「死」であり、ゲーテの言う「死して成れ」の「死」である。(「訳者まえがき」、p.x)
この本のクライマックスはやはり第3部第2章の「儒教の伝統とそのルネッサンス」だろう。その前に1章が割かれて「漢字」について論じられているが、それは「漢字」が「死んだ」筈の「儒教の全精神」が「保存」されていた「霊安室」であるからである(p.184)。この章については別に詳しく言及する予定だが、ここでは「個人主義」/「共同体主義」、「法律万能主義」/「儀礼主義」、「政治」/「行政」、「自由」/「自然」といった対立が鍵となっていることのみを述べておく。
ところで、1986年に書かれたこの本と20年以上後に書かれたDaniel A. Bell China's New Confucianism*5を比べてみるのも一興かも知れないが、私の教養には手に余ることだ。
China's New Confucianism: Politics and Everyday Life in a Changing Society

China's New Confucianism: Politics and Everyday Life in a Changing Society

なおLéon Vandermeerschについては、(仏蘭西語ではあるが)例えば


http://www.efeo.fr/biographies/notices/vandermeersch.htm
http://fr.wikipedia.org/wiki/L%C3%A9on_Vandermeersch


を参照のこと。

*1:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20111224/1324751682

*2:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100416/1271449256 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110829/1314543718

*3:ここではエズラ・ヴォーゲルの『アジア四小龍』 、ピーター・バーガーのThe Capitalist Revolutionをマークしておく。

アジア四小龍―いかにして今日を築いたか (中公新書)

アジア四小龍―いかにして今日を築いたか (中公新書)

The Capitalist Revolution: Fifty Propositions About Prosperity, Equality, and Liberty

The Capitalist Revolution: Fifty Propositions About Prosperity, Equality, and Liberty

*4:多分誤訳。正しくは「新界」?

*5:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110214/1297694798 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110626/1309027815