ヴェトナム/日本(ヴァンデルメールシュ)

アジア文化圏の時代―政治・経済・文化の新たなる担い手

アジア文化圏の時代―政治・経済・文化の新たなる担い手

レオン・ヴァンデルメールシュ『アジア文化圏の時代』*1においては、「漢字文化圏」諸国の中でも、著者のヴェトナムに対する評価は際立って(あの北朝鮮よりも)低い。
第3部第1章「共有する最善のメディア――漢字」からメモ。


(前略)ベトナム語のローマ字化文字法は、十八世紀に最初のキリスト教伝導師によって、彼ら自身の使用のために作成されたのであった。植民政府は「クォック・グー」(quoc-ngu=国語)と呼ばれているこの文字法の採用を奨励するためにあらゆる手段を講じ、一八六五年早々から、これを用いる新聞に補助金を支給したが、これが、ベトナムの最初の新聞であった。植民政府はその目的に到達し、漢字は、一九一八年に行われた中国式最終官吏登用試験ののち、この国では完全に使用されなくなった。
しかし、他の漢字文化諸国のどれ一つとして、ベトナムのような極端な状態にまで落ち込んでしまってはいない。そして、漢字文化諸国のうち、最も西欧化し、最も発展している国、日本は、明治時代の急進主義もこの問題ではついに成果を上げるに至らず、伝統的表意的文字法に最も頑強に固執し続けている国である。とは言え、日本では、およそ文字法がこれまで持ったことのある形式のうち、最も異常に複雑化された形で発達した。西欧の二、三の代表的言語を驚くほど駆使する優れた日本人言語学者は少なくないが、彼らは漢字体系を決して古代的で野蛮な文字手法とは見做さず、むしろ逆に、最も完全化された手法と受け取っている。また事実、中国語文字法は他の表意文字法を遙かに超越しており、さればこそこれほど長い間維持され、これほど広範囲に伝播し、今日においても、現代的・科学的思想の表現にこれほど見事に適応できた、と言われるべきであろう。(pp.146-147)

(前略)ベトナムでは、国民文化が比較的粗野だったので、中国文化はどちらかと言えば教科書的に、独創性に乏しく吸収された。朝鮮は同じ中国文化を遙かに根深く同化し、しばしば著しい水準まで中国伝統をみずから発展させた。しかし、ベトナムと朝鮮のいずれにおいても、漢字文化作用は、日本におけるほど稔り豊かでも、独創的でもなかった。日本では、あらゆる領域において、中国から借用された文化の用具が、国民的伝統に実に見事に適用されたのである。(p.163)

(前略)ベトナムも、中国人入植者たちが退去するや、この国なりに中国・ベトナム語からベトナム語話し言葉の表記法を作り出した。これが「字喃」ないしは南部文字、すなわちこの国の言語の文字の体系である(ベトナムは中国との関係では南部)。フランス語ではベトナム民衆文字法と言われている。中国書写的言語から出発してのベトナム語の記号化問題は、日本語の場合よりも遙かに単純であった。ベトナム語は、書写的言語が発生した源である中国語と同様に、音節的で孤立的だからである。ベトナム書記者は、初め中国・ベトナム語の書写単位を利用して満足していたが、それにさいし、ある時は意味論的にそれらの書写単位に純粋にベトナム的発音を付与し、ある時は音声学的に、丁度日本ですでに行われていたのと同じように、ベトナム語の意味を与えた。次いで、彼らに漢字を利用して、しかし、大部分の場合、形態・音声的複合語の手段により作られた、新書写単位(民衆文字)の一語彙集を作り上げて体系を完成した。この体系は数千の新書写単位を含んでおり、十世紀と十三世紀の間に仕上げられた。
(略)第一に、ベトナム民衆語語彙集は、漢字の語彙集の持つ意味論的構造の力強さを到底示していない。両語彙集を相互に比較するだけで、たちまち両者の相違が一目瞭然となる。すなわち、一方は単なる表意文字手段にすぎず、他方は真の一言語である。第二に、民衆文字と漢字の完全な形式的等質性は、本来の意味でのベトナム語書き言葉の内部において、漢字の普及を日本語の場合よりも、遙かに容易化した。しかしながら、この普及は文化水準の相違のため、日本の場合に比較して遙かに劣った。中国・ベトナム的伝統と、純粋にベトナム的伝統という二伝統は平行のまま存続し、ほとんど融合しなかった。ベトナム的伝統は、ベトナムにおいて固有の民衆的新鮮さを維持するには得るところが大であった。しかし、知性的に遙かに備えが弱かったので、失うところも大であった。ベトナムにおいては、たとえば日本で本居宣長が代表しているような、該博な漢字の基礎に基づいた日本研究の発展のようなものは、遠く望むべくもなかった。これが、恐らく、この国のフランスの影響への文化的反抗の弱体の一理由であろう。(pp.165-167)

ベトナムにおいては、漢字の放棄は確かに、インテリ階級を一挙にして伝統的文化の一切の桎梏より解放した。しかし、その結果は、一国全体の先進諸国水準への飛躍の実現ではなかった。それは、ベトナムのエリート階級に個々人としての西欧文化への完全な同化の道を拓いたにすぎず、エリート階級そのものを根無し草と化したのである。フランス植民地主義の時代において、異文化受容のこれほど目覚ましい個人的成果の、これほどの実例を、宗主国フランスに提供した植民地はほかになかった。しかし、この成果は国民的環境からは完全に切り離されていたのである。目下、ハノイにより決定されている文化政策は、別個の一エリート階級の一種のロシア化以上に進展するであろうか? 疑わしく思われる。
これに反して、日本の成果が証明しているのは、漢字が国民の近代化を国民の文化的同一性の土壌の中に深く根付かせ続けながら、同時に近代化の最善の媒介物になりえたという事実である。(pp.169-170)
さて? また誰かヴェトナムを弁護する人はいないのか。
See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100916/1284577129