自信喪失かも(苦笑)

岩崎夏海騒動*1の続き。
先ず、


どこの本屋に行っても「もしドラ」が小説コーナーに置かれているのを見たことがないし、どの書店員に、売れている小説はなにか?と尋ねても「もしドラ」と答えられたことが無い。ところが、売れているビジネス本は?と尋ねると、必ず「もしドラ」と返答があり、また「もしドラ」は必ずビジネス・自己啓発のコーナーに置かれている。そしてその横にはこれも必ず「ドラッカー本」がセットで置かれている。

 私は思う。作者はこのことに対して、もっと怒るべきだと。この本を小説として紹介せずにドラッカーの入門書だとか、ビジネスの参考書として紹介している書店とその書店員に。作者だけでなく出版社も全国の書店に対して断固抗議するべきだ。
 
 ダイヤモンド社のホームページにはこの本が「青春小説」であるということがきちんと明記されているし、作者も沢山のインタビュー等でそのことを何度も公表している。この本は小説であってビジネス本ではない。この本はドラッカーの思想を学ぶ入門として利用されるようなものではないし、ビジネスの参考となる実用書でもない。そのことはこの本の小説的マテリアルでしかない。作者も出版社ももっとそう声高に叫ぶべきだ。

 作者と出版社の意図を無視した書店業界のマーケティングによって「もしドラ」はあきらかに誤読されている。270万という途方も無い数の誤読だ。しかもそれは現在もさらに続いているというのだ
http://d.hatena.ne.jp/crewless/20110816/1313483810

そうなんだ! このエントリーのタイトルは「270万人の誤読と恐るべき陰謀の影」となっているのですが、やはりこの「陰謀」の影には「悪徳ペンタゴン」とかロックフェラーとか「イルミナティ」がいるのでしょうか。
さて、岩崎は「「小説の読み方の教科書」を書き、それを伝えていくのがぼくの使命」と言っている*2。これは本人が公言しているので、陰謀ではなく陽謀。それと関連して、彼は小学6年生を相手に、村上春樹の短篇を使って「小説の正しい読み方」についての講義をしたという*3。そして、

それでいうと、『もしドラ』を出してからというもの、世の中には小説の読み方が誤っている人、知らない人が多いということにも気づかされた。特にネットの世界では、誤った批評というものが数多く見受けられた。そうして彼らは、その誤った読み方ゆえに、肝心の面白さを見逃してしまっているのだ。

それが、ぼくにはとても「もったいないことだ」と思われたのである。小説も、正しく読めば、今よりずっと面白さを味わえたはずなのに、それをみすみす見逃してしまったのでは、お金も時間も損である。

そこで、そんな人が少しでも減るように「小説の正しい読み方をレクチャーすること」は、ぼくの一つの使命なのではないか――と考えるようになったのである。そうして、「小説を少しでも面白がれる人が増えれば、それは一つの社会貢献になる」とも考えるようになった。

と書いている。何が「正しい読み方」なのかというのは具体的にはわからない。でも、俺って小説に関して「誤った読み方」しかしていないのかという不安に駆られてしまう。拙blogでも時々は小説の読みを披露はしている。例えば伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』の読み*4、ポール・オースターの『偶然の音楽』の読み*5は〈岩崎基準〉からすれば「誤った読み方」なのかどうか、とても不安なのだ。
八月の路上に捨てる (文春文庫)

八月の路上に捨てる (文春文庫)

偶然の音楽 (新潮文庫)

偶然の音楽 (新潮文庫)


ここでふと思いついたタイトル。

* もし笙野頼子岩崎夏海の『小説の読み方の教科書』を読んだら
* もし金井美恵子岩崎夏海の『小説の読み方の教科書』を読んだら

思いついた時点で脳が凍り、その先へと想像が進まない。現実にはたぶん、斎藤美奈子あたりが出てきて処理して終わるだろうけれども、ホラーな展開に目が離せないのが『もしドラ』作者のスター性なのか。
http://d.hatena.ne.jp/nessko/20110816/p1

俺も


もしドラゴンズの落合博満監督が『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』を読んだら


というのを思いついたけれど、これは自分の脳内にしまい込んで、忘却に委ねた方がいいのだろう。聞きたいという方がいらっしゃればお話はしますけれど。