ジェンダー化されて

犬山紙子*1「それ、女関係なくない?」https://www.buzzfeed.com/jp/kamikoinuyama/jyoshiryoku


違和感。「女子力」*2や「女々しい」という言葉に対して。また、「女性ならではの視点で」という表現に対しても。
ところで、金井美恵子先生は、


(前略)クローズ・アップという方法で、男優は女優化されるのです。いわばカメラによって犯される、とでも言ったらいいでしょうか。ボーボワールは「女に生まれるのではなく、女になるのだ」と言いましたが、ロラン・バルトは『恋愛のディスクール・断章』のなかで、「人は待つことによって女性化する」と言っています。性器的差異と関係なく、人は男にも女にもなれるのです。「女々しい」という言葉はマイナスの意味で使われる言葉ですが、男女問わず、まさしく「女々しく」なれるのだし、「雄々しく」もなれるわけです。まして、小説を読む時、自分の性などを常にアイデンティファイする必要があるでしょうか。

一般的な読者に限らず、文芸批評家でもいいし、実際に小説を書いている人でもいいですが、男の読者だったら男の登場人物に感情移入して読み、女性の読者だったら女性の登場人物に感情移入をして読む読み方を、つい口にし、つい書いてしまうようです。それはたとえばボーボワールと、この名が出ると、ついつづけて女史と言いたくなってしまうのですが、『第二の性』のなかで、ブルトンの『ナジャ』についてボーボワールが書いています。ボーボワールは何の疑いもなく女の読者が――自分も女の読者なのですが――ブルトンの『ナジャ』を読むとき、ナジャに自分をなぞらえると思ってしまうのです。(『小説論 読まれなくなった小説のために』pp.45-46)

と述べているのだった*3
小説論 読まれなくなった小説のために (朝日文庫 か 30-3)

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ナジャ (白水Uブックス)

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