巌だの敏だのを思い出して

6月の内閣不信任案騒動*1のひとつの顛末。
『産経』の記事;


不信任賛成の横粂氏、菅首相の選挙区から出馬へ
2011.7.20 17:52


 菅内閣不信任決議案に賛成し、民主党を除籍された無所属の横粂勝仁衆院議員(29)が、次期衆院選菅直人首相が議席を得ている衆院東京18区から出馬する意向を固めた。21日に記者会見し、正式表明する。

 横粂氏は平成21年衆院選で神奈川11区から出馬。選挙区では自民党小泉進次郎氏に敗れたが、民主党比例代表南関東ブロックで復活当選した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110720/stt11072017540009-n1.htm

また、参考として;

松木、横粂両氏が会派離脱
2011.6.3 22:43

 衆院会派「民主党・無所属クラブ」は3日、民主党を除籍(除名)処分となった松木謙公(北海道12区)、横粂勝仁(比例南関東)両氏の退会を衆院事務局に届け出た。これに伴う衆院会派別の新勢力分野は次の通り。

 民主党・無所属クラブ303▽自民党無所属の会118▽公明党21▽共産党9▽社民党市民連合6▽みんなの党5▽国民新党新党日本4▽たちあがれ日本2▽国益と国民の生活を守る会2▽無所属9▽欠員1
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110603/stt11060322490012-n1.htm

何故この大して面白くもない記事を採り上げたかというと、この記事に対して、「高田がんみたいなやつだな」というコメントがあったからだ*2。これで、私のノスタルジーに火が点いてしまった。高田がんを手始めに、戦後の右翼関係者に関するWikipediaのエントリーを手当たり次第読むという時間の浪費をしてしまった。40代以上の人というか、昭和の記憶を保持している人なら、その政治的立場(左右或いはノンポリ)を問わず、赤尾敏とともに高田がん(高田巌)の名前を知らない人は殆どいないだろう。これに対する左側の有名人といえば東郷健*3か。Wikipediaによれば、高田がんはまだ生きているらしい。高田がんよりも、その師匠格の肥後亨(1964年没)の方がそのトンデモ性、また自民党関係者との癒着ぶりにおいて、はるかに面白い。ところで、赤尾敏が亡くなったのは1990年。高田がんは1992年(東京都議会議員補欠選挙)を最後に選挙には出ていない。それから、深作清次郎という政見放送で軍歌を歌うことで名の知れたおじさんがいたのだが、彼の場合は、昭和が終わった辺り以降、消息不明、生死不明(多分死んだだろう)ということになっている。今挙げた3名の古典的右翼が昭和と平成の変わり目、冷戦終結、蘇聯崩壊の時期に表面から姿を消しているということは興味深いと思った。あと、けっこう名を知られていた右翼系の泡沫候補として、品川司という人がいて、1977年に出たその伝記には当時の現職総理大臣だった福田赳夫が推薦文を寄せてもいたのだが、彼も1992年を境に消息不明。南俊夫という人もいたが、彼は1991年の東京都知事選挙立候補以降消息不明。それから、福田拓泉という人もいた。彼は1927年生まれだが、選挙デビューは1983年と、やや遅め。1997年まで活動が確認されているが、その後は消息不明。福田拓泉の師匠は有田正憲で、自称笹川良一の秘書。興味深いのは、彼が敗戦直後熊澤天皇の支持者だったということだ。1986年の参議院選挙以降は生死不明。このように、古寺多見さんのせいで、とんだ昭和ノスタルジーに浸ってしまった。