陶寰*1「保護断裂的上海話」『東方早報』2011年3月3日
先ず上海語というのは中国において嫌われている言葉であるという;
そもそも上海語は不断の変化の中にあるが、陶氏が危機的な変化として挙げているのは、上海語固有の語彙が失われて、「普通話」(マンダリン)の語彙が取って代わってしまっていることである*2――「普通話介入則在一定程度上切断了上海話的伝承、徹底改変了其面貌」。廃れてしまった上海語の語彙と取って代わったマンダリンの語彙の例;
作為中国最大的城市之一、上海為全国嘱目;作為呉語的新生代代表、上海話似乎并不招人喜歓。我不止一次聴人抱怨:上海人総喜歓説上海話、感覚説上海話就意味着排外。可另一方面、却很少人抱怨四川人説四川話、広東人説粤語、厦門人説閩南話、尽管大多数中国人来説、後両者更難懂。更有甚者、称上海話不是真正的方言、或称上海話只有一百多年歴史。這些話出於専家教授之口、譲人瞠目。
介咾→所以
假使or倘然→如果
一日→一天
到快了→快到了
その結果、マンダリンからの〈外来語〉を混ぜなければ上海語の会話が成立しなくなっている。
勿論、国策としての普通話の普及ということはあるのだが、さらに陶氏は上海語の危機の要因として、2点を挙げている。
上海の文化的アイデンティティは弱い。「評弾」は三線の弾き語り藝で、蘇州の言葉で語られる。「越劇」は紹興の言葉で演じられる。
(前略)由於移民衆多、上海文化的認同感並不很強。上海市民喜歓評弾、越劇、甚至有人喜歓京劇、但滬劇的影響力似乎只限於部分上海原居民。跟粤語、閩南話相比、上海話缼少附麗其上的文化産品、以致上海居民対上海話的忠誠度並不很高、跟四川人、広州人、厦門人対自己的方言的忠誠度無法相比。
中国の中で上海人の印象が悪いこと。
二是、上海話是上海人的名片、而上海人的形象也影響上海話的形象。(略)外地人対上海話的偏見、本質上是対上海人的刻板印象、由此很多外地人対上海話、上海文化就更不感興趣。(後略)
上海語保護のために陶氏が提案しているのは、先ず上海人が家庭で意識的に子どもに上海語を教え、学校教育でも上海語の授業を導入すること。また、上海語のTV番組を増やすこと。特に上海語のニュース番組を流すこと*3。
上海語については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060116/1137383553 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060906/1157554635 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060915/1158292479 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060920/1158771844 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090319/1237392014 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090510/1241922143
清朝末期の上海語といえば、侯孝賢の『海上花(Flowers of Shanghai)』でしょう。
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