陰謀と暗殺とダンスの日々(メモ)

梁文道「晦暗的上海――《上海歹土》」(in 『読者』*1、pp.210-212)


台湾の作家、龍応台によると、台湾人は誰も香港はとても危険な場所だと思っているという。特に旺角から廟街にかけては、常に銃弾が飛び交い、死体がごろごろしている(p.210)。実際、香港は中華圏(大陸、台湾、香港、澳門)の中で最も治安の良好な場所である。これは勿論香港映画の効果なのだが、梁氏は香港=危険な場所というイメージは〈魔都〉としての老上海のイメージが投影されたものではないかという。
さらに、米国の中国史家Frederic Wakeman(魏斐徳)*2の著作を参照して、1937年の第二次上海事変*3から1941年の真珠湾攻撃による太平洋戦争開戦までの間の上海は「確確実実」「充満了陰謀與暗殺的悪土」であったという(ibid.)。因みに、この時期の上海を中国語では「孤島時期」という。Oh, Henryにせよきくちゆみにせよ副島隆彦にせよ、陰謀大好き人間どもは、この頃の上海に暮らしていれば毎日わくわくどきどきの生活が送れたのではないかと思うのだが、何故「陰謀與暗殺」が「充満」したのか。日本軍の侵攻によって、上海はa日本軍が直接統治する地域、b仏蘭西租界、c共同租界(中国語では「公共租界」)、d「偽上海市政府」管轄の地域に分割された。それは各種〈暴力装置*4の乱立を招いた。日本軍の憲兵隊、多くの特務機関、南京政権系のテロ組織、重慶政権系のテロ組織、租界の警察局、さらには共産党系の地下組織(p.211)*5。また、警察局を除いて、これらの〈暴力装置〉の殆どは非合法・地下組織だった。これによって、黒と白、忠誠と裏切りは曖昧化される。忠誠にせよ裏切りにせよ、それは常に「偽装」であるかも知れない(ibid.)。さらに、実際に暗殺を行っていたのは「小市民」であり、この人たちにとって、テロは政治イデオロギーに対する「忠誠」よりも「糊口」の問題であった(p.212)。勿論、「真正一腔熱血的愛国青年」もいた。例えば「血魂除奸団」。これは「著名的親日分子」を襲撃するだけではなかった。当時多くの上海人は〈酒とダンスの日々〉を送っていたわけだが(See eg. Andrew David Field Shanghai’s Dancing World*6 )、「血魂除奸団」のテロはそうした真面目に〈抗日〉しない一般市民にも向けられ、ダンス・ホールに爆弾が投げ込まれた(ibid.)。梁氏は「血魂除奸団」に現在の〈憤青*7の原型を見出している。

Shanghai's Dancing World: Cabaret Culture and Urban Politics, 1919-1954

Shanghai's Dancing World: Cabaret Culture and Urban Politics, 1919-1954