ハイヒールで否認して

「梶川幸子県議の「売春婦」に関する発言について」http://d.hatena.ne.jp/clapon+gender/20110102/1293994647


梶川幸子*1という民主党所属の広島県議会議員の一連の「基本的にフランスでミニスカートにハイヒールを履く女の子はみな売春婦」の纏め。「性風俗産業に従事している女性と、若い女性のファッションを蔑んでいるように見える」ということだ。これはそうだと思う。ただ、それに続けて、「彼女が若い女性のファッションに不快感をもっていること自体は問題ではなく、その不快感を「売春婦」という言葉で表現しているのが問題」というのはどうなのだろうか。たしかに、ファッションに関する趣味とかセンスは人それぞれであって、彼女もその十人十色のうちの一色を表現したにすぎないとはいえるだろう。ただ、過去(今も?)、一部のフェミニストが女性がセクシーな服を着ること自体に〈男(社会)への媚〉というレーベルを貼り付けて、セクシーであること或いはファッショナブルであることそれ自体を抑圧したということがあるわけで、彼女の発言にそうした〈歴史〉の痕跡がないかどうか、これは十分に検討するに値する問題だろう。以前伊田広行の言説*2に引っかけて、


マッチョな男権主義者も(思考の構造が単純な)〈フェミニスト〉も、ファッション、特に女性のファッションに、反射的にセクシュアルな意味を読み取ってしまい、意味をそこに還元してしまうという心性を共有しているとは言えそうだ。勿論、ファッションがセクシュアルな意味を含みうることはたしかであり、そのような仕掛けとして用いられることも屡々ある。しかし、そのようなことが全く意識されていないということも少なからずある。理論的にいえば、ファッションはセクシュアルな意味を(誰かによって)読み取られることによってのみ、セクシュアルなサインとして機能するといえる。痴漢やセクハラなどのトラブルはそのような意味解釈のずれによって惹き起こされうるのだが、その場合の責任がそのように解釈した側にあるということはいうまでもない。
と書いたことがあるが*3、アイロニカルにも、こうした感覚こそ「マッチョな男権主義者」とフェミニストが出会ってしまう場所でもあるのだろう。ところで、梶川さんが強調する「ハイヒール」というのは1960年代や70年代には、〈現代の纏足〉として批判の対象になっていた筈(See eg. 岡本隆三『纏足物語』)。
纒足物語 (福武文庫)

纒足物語 (福武文庫)

さて、「ミニスカートにハイヒール」の若い女性がいっぱいというのは事実の認識としてどうなのか。〈援助交際〉が世間の話題を賑せた1990年代半ば頃ならいざ知らず、20世紀に入った辺りから、スカートという文化の衰退を嘆く記事が色々な雑誌に載り始めていた(私が特に記憶しているのは『AERA』)。最近はどうか知らないけれど、現状としては、

今って、そもそもパンツスタイルが多いし(自分がスカート愛好者なもんで気になって以前電車でチェックしたことあるんだけど、そのときは若い子はほとんどパンツスタイル。おばちゃんもおばあちゃんもパンツスタイルが多い。スカートはいてるのって、スーツ着ないといけない系の仕事っぽい人か私のような太ったおばちゃんくらいだった)、一見スカートに見えてもチュニック的なものを重ね着して下はレギンスとかパンツ系はいてる子が多かったと思うんだけど。
だいたい今冬だし、短いスカートはいててもブーツとかタイツとか長い靴下とかで生足なんか出してないし。
http://h.hatena.ne.jp/kmizusawa/9259274805777773416
という感じなんじゃないか。「スーツ」でもパンツ・スーツというのは多いですし。
そういえば、水島裕子さんは「ハイヒールで避妊して」という小説を書いていたのだった。
ハイヒールで避妊して (mag novels)

ハイヒールで避妊して (mag novels)